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安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(9)

峯野龍弘牧師 第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか Ⅰ. 神の聖言に堅く根差した生活 先ずそこで初めに注目したいことは、主イエスは、ご自身が「神」であり、「全能者」であられながら、決して自己主張をなさらず、絶えず父なる神の御旨を確かめ、神の御心に従って歩まれたと言う点です。ですからお互いも常に、生涯の最後の一息に至るまで、神の御子であられた主イエスに倣って、御父の御心に従

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(8)

峯野龍弘牧師 第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか それでは心安らかに実り豊かな人生を過ごして行くために、「主と共に歩む生涯」をどのように築き上げて行ったらよいのでしょうか。それは言うまでもなく「主イエスに倣って」歩んで行く以外ではありません。 その昔、トマス・ア・ケンピスと言う人が「キリストに倣いて」と言う書物を著し、世界中の多くの人々に大きな感動と良き感化を齎(もたら

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(7)

峯野龍弘牧師 第3章 主と共に歩む生涯の必要性と重要性 Ⅱ.主と共に歩み、主に似るものとなることは、人間の本分である さて、このように人間が神と共に歩み、御心を行い、主に似る者となるよう創造され、しかも更に創造主である主ご自身からそのように生きるようにと要請されているのですから、「主と共に歩み、主に似る者となる」ことこそ、お互い人間の本分であると言うことが出来ます。 この本分を明確に認め知

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(6)

峯野龍弘牧師 第3章 主と共に歩む生涯の必要性と重要性 主と共に、主に倣って歩む生涯の必要性と重要性については、そもそも冒頭から記して来た事柄の中で既に示されていたことでしたが、ここで改めて次のような形に整理して記しておきましょう。 Ⅰ、神御自身がそれを要請しておられること まず第一に、何よりも主ご自身がお互いキリスト者が「主に似る者」となって、この世で主を証する者となってくれるように願っ

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(5)

峯野龍弘牧師 第2章 主と共に歩む生涯の究極の目標 キリスト者生涯の地上生活の究極の目標は、何でしょうか?それは「主の祈り」の冒頭で、「父よ、聖名が崇められますように!」と祈るように、「神の栄光のために生きる」ことであり、また「他者の祝福のために生きる」ことです。この二つは、実は最も重要な主の二つの戒めを満たすことに他なりません。それは主イエスが一人の律法の専門家の問いに答えて、「『心を尽くし

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(4)

峯野龍弘牧師 第1章 主と共に歩む生涯への召命と献身(前回からの続き) ところでアブラハムの生涯で、そもそも彼が主によってこの「主と共に歩む祝福の生涯」へと招かれたのは、いったいいつだったのでしょうか。それは彼がまだアブラハムではなく、「アブラム」と呼ばれていた頃のことでした。彼は父親のテラと共にカルデアのウルと言う地に住んでいました。年老いたテラは、妻の亡くなった後、息子アブラムとその妻サラ

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(3)

峯野龍弘牧師 第1章 主と共に歩む生涯への召命と献身(前回からの続き) さて、そこで既に記しましたように「主と共に歩む生涯」とは、とりもなおさず「主が共におられる生涯」以外の何ものでもありません。私どもキリスト者にとって、いやそれ以上にお互い人間にとって、創造主であり、全能者である神、主が共にいて下さると言う事に優って素晴らしい恵みが他にあるでしょうか。万物を創造し、かつ所有し、支配しておられ

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(2)

峯野龍弘牧師 第1章 主と共に歩む生涯への召命と献身 「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも」というかわいらしい「こども聖歌」がありますね。ご存知でしょう。小僕も昔、日曜学校や子供会でご奉仕していた頃、子供たちと一緒に楽しく、よく歌いました。爾来(じらい)、時々何かの折にこのこども聖歌の文句が脳裏によみがえって来て、ひとり口ずさむことがあります。まことにその通りだと思います。お互いキリスト者

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(1)

峯野龍弘牧師 序 この一文は、主としてキリスト者の方々のために書き下ろした小論です。ですから何よりもキリスト者である皆様に、是非とも愛読して頂けたら幸いです。しかし、同時にそれ以外の一般の皆様にも、是非読んでいただけたら光栄です。なぜならキリスト者のために書かれたと言っても、決してキリスト者でなければ理解できないとか、役立たないと言うものではありません。お互いが人間として、まさに正しく、聖く、

愛による全面受容と心の癒しへの道(127)

峯野龍弘牧師 <付記> 以上、随分長きに亘って「アガペーによる全面受容と心の癒しへの道」について記して来ましたが、既にこれをお読みになり、おそらく多くの方々が、いったいこのような「癒しへの道」を筆者である小僕以外に誰が唱え、誰がこのような言説を主張しているのだろうかと思われたに違いありません。それはまさしく当然と思います。なぜならこれまた既に折々記し、また語ってきましたように、私自身がどなたか