キリストの愛に満たされた生涯(6)
第1章 キリストの愛とはどのような愛か(前回に続く)
Ⅵ. 十字架上で尊い命を献(ささ)げられた愛
以上において記して来たようなキリストのご愛が、最も集約されて示されたのが、言うまでもなく十字架上で示されたキリストのご愛です。そのご愛とは、私たち罪人であるすべての人間を救うために、十字架上でその尊い命を惜しみなく献げられた愛でした。ですからヨハネは、こう記しています。「御子は私たちのために命を捨ててくださいました。それによって、私たちは愛を知りました。」(Ⅰヨハネ3:16)と。これは神のみ子イエス・キリストが現わされた聖なる極限的愛でした。これ以上の愛が、どこにありましょうか。主イエスご自身がご在世中、弟子たちにこう語られました。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:12~13)と。そうです。主イエスは、他者のために自分の命を献げ、自らの命を失うことがあっても、いざと言う場合には、惜しみなく自分の命を捨ててでも他者を救う愛ほど、大いなる愛はないと教えられたのです。しかし、教えたばかりではなく主イエスご自身、ついに十字架に釘づけられ、ご自身の尊い命を失うことになりながらも、一人、二人の人のためにではなく、全人類を罪から救うために、その尊い神のみ子の命を献げられました。まさにこれ以上に大きな愛はありません。これが主イエスの示された十字架上の愛だったのです。
Ⅶ. アガペーの愛
この十字架上で示された主イエスの究極のご愛を、「アガペー」と言います。その愛の本質は、今日的で、しかも実践的言葉に置き換えて表現してみるならばならば、「アガペーとは、相手のために、しかも自らに敵対し、不利益を与える相手のためにさえ、あえて自己犠牲を甘受して、その相手の祝福のために、献げ、仕えて行く、何一つ見返りを期待しない心と生き様(生活)である」と表現することが出来るでしょう。しかも、その「自己犠牲」の最高峰は、「自分の命を捨てる(献げる)」と言う極めて尊く、かつ高い頂点を仰ぎ望みながら生きると言う一点にあるのです。これがまさに主イエスの内に息づいていた十字架上の「アガペー」でした。そして主イエスの「アガペー」は、無限に高く、深く、広く、長く永遠に続く豊かな愛でした。その愛は、全宇宙さえ包み込み、しかもその全宇宙を越えて、その先にまで新世界を生み出すことの出来る新創造の愛でした。
愛する主にある兄弟姉妹、実に私たち一人一人は、このような豊かな壮大な主イエスの「アガペー」の愛によって、愛されているのです。信じられますか。信じて下さい。実に、私たち淀橋教会と言う霊的信仰的共同体は、この「アガペー」を信じる者たちの共同体です。ですから、お互いは教会を、「アガペー共同体」と呼んでいます。なぜなら、言うまでもなくお互いは、「キリストのアガペーによって、アガペーされた者たちの共同体」だからです。それゆえお互いは、「互いにアガペーし合う」ことをもって本分としています。こうした私たちのこの世における働きは何でしょう。その尊い使命は、どこにあるのでしょうか。それが淀橋教会の「ミッション・ステートメント」となりました。
<淀橋教会ミッション・ステートメント>
わたしたちの教会は、キリストの愛(アガペー)によって、愛(アガペー)されている者たちの群れであって、これを「アガペー共同体」と呼びます。
一. わたしたちは、キリストの愛(アガぺー)に倣(なら)って、互いに愛(アガペー)し、仕え合います。
二. わたしたちは、この世に遣わさた「キリストの愛(アガペー)のしもべ」であって、家族・友人・知人、すべての隣人、社会に仕えます。
三. わたしたちは、世界がキリストの愛(アガペー)によって、一つの愛(アガペー)の家族となるために、人種・言語・国籍・文化等の隔ての中垣を越えて奉仕します。
愛する兄弟姉妹、このミッション・ステートメントを常に心に刻み込みながら、互いに唱和し、実践してまいりましょう! (続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。