信仰生活の羅針盤(10)

峯野龍弘主管牧師

第6章 聖めの恵み(聖化の恩寵(おんちょう))

◆前回の要点

Ⅱ. 聖められなければならない「我欲」の齎(もたら)す諸問題
①名誉欲と妬(ねた)み
②金銭欲と所有欲
③行き過ぎた食欲

Ⅱ. 聖められなければならない「我欲」の齎す諸問題(続き)

④性的欲望

第四に、「我欲」の齎す諸問題の中でも今一つ、極めて重要な問題があります。それが「性的欲望」から来る問題です。この「性」に関する人間の願望は、これ自体は決して卑しめてはならない極めて大切な、神聖な願望です。そもそも性的願望は、神ご自身が天地万物の創造の初めに、人間と動物を創造された時、その子孫を残すための尊い営みとして与えられた「性的本能」なのです。これなくして人間も動物も決して存続することはできません。そこで神は、その存続のために人間には男性と女性、動物たちには雄と雌を創造されました。そして時満ちるに及んで、相互に深く心通わせ一つとなし、そこに子孫を残すようにされたのです。そればかりではなく、創造者である神は、この「本能」である性的営みを通してその特定の男女が、その全生涯を相互に自分自身を相手に献げ、仕えて行くことを良しとするほどまでに二人を一体化させて下さったのです。ですから創世記に、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創2:24)と記されているのです。これが「結婚」と言うものです。それ故「結婚」は、「神聖」にして、神の御心から出た「聖なる秩序」なのです。そこで人間は、誰一人としてこの秩序を乱し、汚してはならないのです。

ところが人間は、この神聖な本能である性的願望を、神の御心に基づいた「神聖な秩序としての結婚」以外の場面で行使してしまう時、それは「聖なる本能」の乱用となり、それは「性的欲望(性欲)」と言う「我欲」の所産(所作)と化してしまいます。これは「行き過ぎた性的願望の充足」であって、これを「性的罪」と呼びます。それゆえお互いは、よくよくこの「性的欲望」を警戒しなければなりません。そして「性的欲望」に打ち勝ち、「性的罪」に陥らないようにしなければなりません。この「性的罪」に陥るとき、お互いキリスト者は「霊的力」を喪失し、今まで主から戴いて来た「主の祝福」を失ってしまうからです。今日に至るまで、どれほど多くの主の尊い器や働き人が、この「性的欲望」に誘われ、「性的罪」を犯し、その「霊的力」と「主の祝福」を敵なるサタンに奪われ、喪失して来てしまったことでしょうか。

ちなみに、旧約聖書時代のサムソンは、美しい聡明な異邦の女性、ペリシテ人デリラに魅せられ、その力と霊力を失い敵の手中に陥り、命を落としました。しかし、その死の直前に自らの過ちを知って悔い改め、その心が神の御心に立ち帰ったので、深い神の憐れみに与り、彼が死ぬとき敵を倒した数は、それ以前の20年間で彼が敵を打ち滅ぼした数より遥かに多い武勲(ぶくん)をもって神に栄光を期し、イスラエルに祝福を齎(もたら)しました(士師記16章参照)。

またダビデ王も、勝利と祝福の頂点に上り詰めていたその矢先に、武官ウリヤの妻バト・シェバの余りもの美しさに心奪われて、ウリヤを激戦地に送り死に追いやり、その上で彼女を自らの妻として迎えると言う大罪を犯してしまいました。しかし、預言者ナタンの厳しい指摘を受けて、心から深くその罪を認め悔い改めたダビデは、その後、神の深い憐れみにより王位を継続し、遂に名君の誉れを受けるほどまでの人物となり、その二人の間から、これまた名君となったソロモンを生んだのでした(Ⅱサム11~12章参照)。

ともあれ、「性的欲望」を、よくよく警戒しなければなりません。それは「霊的命取り」になるからです。しかし、警戒だけでは決して勝利できません。ではどうしたら、これに勝利できるのでしょうか。それはお互いが聖霊に満たされ、聖められることによってです。そうです。「聖めの恵み」に与ることによって、お互いがこのようなすべての「欲望」に打ち勝つことができるように、主は「勝利の道」を備えて下さったのです。ですから、是非ともお互いは、聖霊に満たされ、聖めて戴くことによって、この「性的欲望」に打ち勝たせて、戴(いただ)こうではありませんか!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。