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愛による全面受容と心の癒しへの道(82)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

Ⅵ. アガペーによる全面受容とその軌跡(自立への7ステップ・法則)(前回に続く)

■アガペーによる全面受容の軌跡と癒しへの7ステップ(法則)
<第2ステップ> 充足感の到来

そうです。正論は充分理解し認識しています。何も『“悪”を受け入れよ。闇雲に“悪を成す”ことを肯定せよ』と、言っているのではありません。また他者や第三者の人々に害を及ぼすことを肯定しているのでもありません。それは断じて避けるべきです。しかし、「自分一身」が受け入れ、耐え忍び、甘受しさえすれば良いことであったとしたなら、どうでしょう。「アガペー」はそれを受容するのです。我慢するのではありません。愛のゆえに積極的に耐え忍び、受け止めるのです。その動機と目的は極めて明確でなければなりません。それは唯一「相手の祝福」、つまり癒しのためにです。真の「アガぺーによる全面受容者」は、「アガペーによる全面受容」を与える時に、そこには必ず相手の心にある種の満足感と更には充足感が宿り、その瞬間、彼らの心の内に和らぎが芽吹くことを確信しているからです。そして、この和らいだ心に更に「アガペーの全面受容」を注ぎ込んで行く時、その心にゆとりが生じ、緊張がほぐれ、対話が回復されるのです。断絶していたコミュニケーションの復帰です。では、このことを可能にしたのは何によってだったのでしょうか。言うまでもなく一般常識や、ましておや利害関係を基盤にした世俗の価値観からすれば、一見不合理で、非常識にさえ思われるかもしれない行為なのですが、実にこれこそがキリスト教で言う、十字架のキリストの内から湧きあがった、自己犠牲を敢えて甘受したうえで注ぎ出された「アガペー」の愛の威力なのです。この「アガペー」が“奇蹟”とさえ思える対話の活路を生み出すのです。しかし、これは決して“奇蹟”ではなく、先にも一言しましたように実に“法則”そのものなのです。ですから「アガペーによる全面受容」は、傷つき病んでいた対話不能の人々の心に、一瞬の満足感と充足感を生み出し、その満足感と充足感が彼の心の緊張を緩め、静め、そして相手との間の心の通いの扉をわずかづつ開かせるのです。これまた心傷つき病んでいる極度の“人間関係不全症候群”に陥っている子らや人々の癒しのためのステップとして、極めて重要なことなのです。

ちなみに筆者は、今日に至るまでに全国各地のAFCCのセミナー受講者たちの間で、どれほど多くの人々のうちにこの素晴らしい体験者を目撃させて頂いてきたことでしょう。その度ごとに「人間とは何と素晴らしい存在か!」と感嘆せざるを得ませんでした。

ここで更にもう一言、これまた極めて重要なことを記しておきたいと思います。彼らは決して彼らの要求が満たされ、要求したものが思い通りに手に入ったから満足し、充足したのではありません。この敵対し、不利益を与える異常心理・異常行動に出る自分のためにさえ、あえて自己犠牲をも甘受して、その自分の癒しのために、何一つ見返りを期待しないで献げ、仕えてくれる真実で、美しい献身的な「アガペー」に出会ったから、彼の心の深みに満足感と充足感が宿ったのでした。 (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復