「夢見る人ヨセフ」
今年も私たちは、7‐8月を伝道推進月間と定め、積極的に伝道したいと願っています。毎回の礼拝の中で証し者が立てられ、イエス様に出会った体験談が語られます。家族、友人、同僚、隣人の救いのために祈り、教会に誘う良い機会となれば幸いです。夏の伝道の熱気が秋のオータムフェスタにまで繋がり、さらにはクリスマスへと宣教の働きが続くことを祈ります。
今回の伝道推進月間の礼拝において、「夢見る人ヨセフ」と題して9回シリーズのメッセージを計画しています。アブラハムから始まる波乱万丈な族長時代のフィナーレであり、もっと大きく見ると創世記全体の結論であるヨセフの物語は、現代を生きる私たちにも興味深く、人生の知恵を与えてくれます。聖書に馴染みのない方にも分かりやすく、ストーリー自体が非常に面白いので、どなたでも礼拝に誘いやすいと思います。ヨセフの生涯を追うと次のようなテーマが浮かび上がってくるでしょう。
夢
ヨセフは幼い頃から夢をみました。それを家族にも理解してもらえず、むしろ妬まれてしまいます。ヨセフ自身も分かっていなかったでしょう。後に牢獄の中で夢を見た役人の夢を明かし、最後にはエジプト王国のファラオ王の夢を解くことで総理大臣に登り詰めます。私たちはどのような夢を見ているでしょうか。神様はどのような幻を与えてくださるでしょうか。
愛憎の家族関係
私たちを一番喜ばせながら、同時に時として一番苦しめることが家族関係です。ヨセフの家族は、一人の父親と四人の母親の間に生まれた十二人の息子と一人の娘が繰り広げる泥沼劇です。親の代から始まった激しい妬みと競争関係は、子供たちの間にも受け継がれてしまいます。そして、えこひいきする父親によって悪化してしまいます。幸せな家庭とは何でしょうか。真の愛と妬みはどのように異なるでしょうか。ヨセフと家族の関係の中に見えて来るかも知れません。
人生のどん底
ヨセフの人生は、悔しいほどに底へ、底へと下って行きます。裏切りと濡れ衣。正しく生きようとすればするほど、もっと苦しんでしまう人生の理不尽が現れます。しかし、裏切りと復讐の古典「モンテ・クリスト伯」(巌窟王)とは異なり、ヨセフは悔しさをバネに復讐を夢見ることをしません。それが歯がゆく感じるかも知れません。しかし、そこが聖書のユニークなポイントです。それが理解できれば聖書の面白さと力強さが分かると思います。人生のどん底でヨセフは何を信じ続けるでしょうか。
逆転
どん底からヨセフの人生は逆転します。その目まぐるしい反転に驚かされます。その時、ヨセフの人生は全てが備えであったことが判明します。自分が何のために生きて来たか、今はよく分かりません。でもそれが少しずつ見える時があります。時間が経ってから振り返るとき分かることがあります。人生はまだ終わりではありません。その全貌はまだ明らかにされていません。まだ諦めてはならないとヨセフが語ります。
和解
ヨセフ物語の結末は痛快な復讐ではないところがポイントです。その結末は和解です。一つの家族の傷が癒され、和解される姿でありながら、壊れた世界の回復と神の救いの完成を表す象徴でもあります。その意味でこの物語は、創世記全体の結論として相応しいのです。この味わいが分かる人は聖書の味わいを知ることが出来ます。確かに復讐物語は、瞬間の快感を与えてくれます。しかし、後味が悪く、最後には空しさしか残りません。聖書が語る夢の完成を見てみましょう。
夏の二ヵ月間、ヨセフの生涯を通して私たちの人生の知恵を与えられましょう。信仰のない人にも共感できるポイントが多いと思います。ぜひ伝道の機会にしましょう。
淀橋教会主管牧師 金 聖燮

