「聖霊に満たされた教会」使徒言行録2:42~47

今年のペンテコステは5月24日です。今こそキリスト教会の三大祝祭の一つであるペンテコステは、元々、旧約時代から続くユダヤ教の祝日でした。小麦の刈り入れを祝う日であり、同時にモーセがシナイ山で神から律法を受け取った記念日でした。奇しくもそのペンテコステの日、エルサレムに留まって祈っていたイエス様の弟子たちに聖霊が降りました。イスラエルが神から受けた御言葉によって一つの民とされたように、教会は神の霊によって誕生しました。

使徒ヨハネが御子を言(ことば)と呼ぶように(ヨハネ1:1)、神の言葉は究極的に御子ご自身です。父なる神から永遠にお生まれになる御子と、父と子によって遣わされる聖霊が、神の民をこの世から呼び出し、変え、再びこの世に送り出します。では私たちは、この世でどのように生きなければならないでしょうか。

1.「使徒たちの教え」

聖霊に満たされた最初の教会は、まず「使徒たちの教え」を守ることに熱心でした(使徒2:42)。使徒たちは、自分たちの考えや教えではなく、主イエスの言葉と行いを伝えました。そして、それまでに与えられていた土台である預言者たちの旧約聖書と使徒たちによって語られた新約聖書が私たちの全ての生活の基礎です。何と当たり前のことでありながら、疎かにしがちなことでしょうか。聖霊は、聖書に光を照らしてくださる方です。聖霊に導かれて聖書を読むとき、聖書によって自分が読まれていることを体験したことはないでしょうか。

2.「交わり」

教会は、不思議なところです。お金や法の強制力で縛られない関係がそこにあります。よって普段は隠したり、我慢したりする罪も教会では現れやすいです。だからこそ本当の癒しの可能性があるところも教会です。今日、人々は関係の難しさを感じ、心の繋がりに飢えています。聖霊は、三位一体の父と子を結ぶ帯と言われます。同じく、私たちをキリストに結び、お互いを繋げてくださるお方です。愛と和解がある交わりが、私たちの教会でもっと力強くあらわれることをお祈りします。

3.「パンを裂き」

ペンテコステの日に生まれた教会は、パンを裂き、実際に生活を共有する共同体でした(同44-45)。その交わりは、ただ言葉と思いですることではありませんでした。私は、教会で兄弟姉妹が一緒に食べることは本当に重要だと思います。主イエスご自身、宴会が大好きでした。一番最初の奇跡もカナの婚礼式で水をぶどう酒に変える出来事でした。そして、神の国をよく宴会にたとえられました。ユダヤ教は、ユダヤ人と異邦人が食事を共にすることを禁じました。ローマ文化は、主人と奴隷が共に食事をすることを禁じました。両文化の狭間で教会は頑なに、ユダヤ人も異邦人も、主人も奴隷も、少なくとも教会では共にパンを裂くことを守ろうとしました。教会に来た人が、心もお腹もいっぱいになって帰って欲しいものです。

4.「祈り」

上記のすべてに熱心であっても祈りがなければ、聖霊の力を体験することは難しいでしょう。聖霊によって導かれる教会は、たゆまず祈る教会です。いくら人が多く集まって、財政と組織がしっかりしていても、祈りがない教会には霊性がありません。人間の努力だけで励む教会と聖霊の恵みを知る教会の間には大きな違いがあります。共に集まっては祈り、一人ひとりの時も祈る。これが聖霊の注ぎを受けた教会のしるしです。

二つのインパクト

聖霊に満たされ、これら四つのことに忠実な教会は、この世に二つのインパクトを与えます。一つ目は恐れです(同43)。教会が教会らしくある時、この世はそれを恐れるでしょう。あまりにも異質的で不都合であるからです。聖霊によって生み出された教会は、地中海を中心とした世界にショックを与えました。煙たがられ、否定され、時には攻撃されました。しかし、忠実に聖霊に従う教会は、やがて二つ目のインパクトを与えました。「民衆全体から好意を寄せられた」(同47)。そして、教会に引き寄せられるように人々は加わり、教会は成長して行きました。

今年のペンテコステを迎えながら、いつの時代でも教会が大切にすべきことを覚えましょう。そして、聖霊によって私たちもこの世にインパクトを与えることができるように祈り求めましょう。

※これは、「聖潮」2025年6月号に掲載された文を加筆修正したものです。

淀橋教会主管牧師 金 聖燮