信仰生活の羅針盤(24)

峯野龍弘主管牧師

第10章 アガペー共同体である教会の祝福の鍵<前回に続く>

⑤ では、「第五の祝福の鍵」は、何でしょうか。それは、「全き献身の心と生活です。これは、今まで述べて来た四つの「祝福の鍵」の総括とも言えるでしょう。ですから使徒パウロは、ローマの信徒への手紙の第12章の冒頭で、それまで述べて来たすべての総括として、厳かにこう勧告したのです。「こういうわけで、きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの理に適った礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。」(同12:1~2)と。

ここで言う「体」とは、「肉体」を意味しているのではありません。私たちの「全存在」を意味しています。そして「全存在」とは、全身・全霊・全精神(意思、心)・全感情・全生活・全生涯の全体を意味しています。このお互いの「全存在」を主に献げて生きて行くことを、「生けるいけにえとして献げる」と使徒パウロは表現したのでした。これが「全き献身の心と生活」と言うことなのです。

なぜ、使徒パウロは、お互いに「全き献身の心と生活」を勧めたのでしょうか。それは他でもなくお互いキリスト者は、主イエス・キリストのあの尊い十字架の死の代償(代価)を支払って、神に買い取られた神殿だからです。そしてその神殿であるお互いの内には、神から頂いた聖霊が宿ってくださっているからです(Ⅰコリ6:19~20参照)。それゆえ、もはやお互いの体(全存在)は、自分自身のものではなく、買い取って下さった主のものなのです。ですから、自分の全存在をもって、主の栄光を現わす者であることが大切なのです。のみならず、使徒パウロは更にこうまで言い切っているのです。「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」(ガラ2:20)と。

このように思う時、どうしてお互いは、この世にならって歩むことが出来ましょうか。ただひたすら、「心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえ」、日々歩むことが当然となるのです。

かくして、以上のような「五つの祝福の鍵」を手にすることによって、お互いは祝福に満ち溢れた「アガペー共同体」としての教会を、この地上に実現して行くことが出来るのです。愛する兄弟姉妹方、どうかこの「五つの祝福の鍵」を手に入れようではありませんか!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。