信仰生活の羅針盤(21)

峯野龍弘主管牧師

第10章 アガペー共同体である教会の祝福の鍵

さて、ここで項目を変えて、今度は「アガペー共同体である教会」の祝福の鍵となるものが何であるのか、考えて見ましょう。もし閉ざされた扉を開きたければ、その扉をロックしている「鍵」を開ければ良いわけです。それは実に簡単なことであり、分かり切ったことです。そのようにもしも、教会の祝福の扉が閉じられていたならば、その祝福の扉を開く「鍵」を手にして扉を開き、その中に入り、「祝福と言う名の宝」を取り出せばよいわけです。そうすれば、難なく扉は開き、中に入ることが出来ます。

そうなのです。お互いが愛(アガペー)の共同体である教会の祝福を、心から願うならば、その「祝福の扉」を開くための「鍵」を、手に入れる必要があります。ところが、この大いなる神の祝福の宝庫は、邪(よこしま)な者や、いい加減な者が簡単に錠前を壊して侵入し、盗み出したり、荒したりしないために、厳重に五重の鍵が掛かっています。ですからお互いは、この大いなる祝福に与(あずか)るために、この五種類の鍵を準備する必要があるのです。では、どのような五種類の鍵なのでしょうか。それは以下のような貴重な鍵なのです。

①第一の鍵は、心合わせ、力合わせて祈る「一致の祈り」と言う鍵です。祈りは力であり、教会の祝福を妨げ、奪い去ろうとする強敵を打ち破ることの出来る最強の武器です。この最強の武器を用いて、見事に戦いに勝利したのが、モーセとアロンとフル、そしてヨシュアたちでした。

彼らが旅を重ねて、荒野のレフィデムに辿り着いた時のことでした。ここに辿り着いた時、彼らはすっかり携えて来た水が無くなってしまい、命の危険に遭遇しました。ところがその時、主はモーセにその携えていた杖を持って、目の前の岩を打てと命じられました。そこで直ちにモーセが、主が命じられた通りに、目も前の岩をその杖で打つと、岩が裂け水が湧き出し、イスラエルの民は死なずに済みました(出エジ17:1~7)。ところがこうして命の危機から救い出された彼らの前に、またしても命の危機がやって来ました。それは、彼らが宿営するレフィデムに、突然、強敵アマレク軍が、彼らを滅ぼそうとして襲って来たのです。好戦的な民族で、洗練された大軍を誇るアマレクには、イスラエルは全く勝ち目はありませんでした。しかし、モーセは、少しも怯(ひる)みませんでした。彼は、直ちにヨシュアに命じて、進軍させました。そして、モーセは、アロンとフルを伴って、戦場を一望できる丘の上に登り、あの岩から水を湧き上がらせた杖をかざし、両手を高らかに天に向けて広げ、祈り出しました。モーセが、手を天に向かって広げ祈っていると、ヨシュア軍が優勢となり、モーセが疲れ、上げた手を下ろすと途端にアマレク軍が優勢となりました。そこで、アロンとフルは、モーセが疲れ果て祈れなくならないように、石を運んで来てそこにモーセを座らせ、その上、モーセの手が再び下がらないように、両側からしっかりとモーセの手を支えました。そして、終日、日が沈むまでモーセの祈りの手は下がらず、祈り続けることが出来ました。その結果、弱小のヨシュア軍が、奇跡的な大勝利を治め、強大なアマレク軍を剣にかけて打ち破ることが出来ました(同17:8~13)。これこそが、心合わせ、力を合わせて祈る「一致の祈り」の勝利と祝福の最良のモデルです。このように「一致の祈り」は、勝利の力であり、不可能を可能にし、奇跡的な大いなる祝福に与る秘訣です。お互いも、この「大いなる祝福の鍵」を、手に入れようではありませんか。岩の水を湧き上がらせたモーセの杖も、このアロンとフルがしっかりと、モーセと一体となって祈り続けた「一致の祈祷」なくしては、無力な一本の杖でしかありませんでしたが、かくして彼らの「一致の祈祷」によって、天にかざし続けることが出来た時、岩から水を湧き上がらせるにも、遥かに優(まさ)って偉大な勝利をもたらすことが出来たのです。

そうです、このような大いなる勝利と祝福の門を開いた「鍵」は、心合わせ、力合わせて祈った「一致の祈祷」でした。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。