愛による全面受容と心の癒しへの道(110)

峯野龍弘牧師

第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」

Ⅲ、第2期 3歳から6歳までの幼児期後半の幼児教育(前回からの続き)

B、自己抑制が出来、困難事に耐えることの出来る人間資質の育成
4 忍耐心を培い、忍耐力を育てること

前述の「好き嫌い」を克服させる項目の中でも若干触れましたが、自己抑制ができ、困難事を耐え忍び、人生を力強く生き抜いて行くことの出来る人間資質の育成のために、「忍耐心・忍耐力」の育成と言うことが非常に大切です。この点についてはもう少し詳しく記すことに致しましょう。

新約聖書の言葉に「そればかりでなく、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと言うことを、希望はわたしたちを欺くことはありません(失望に終わることはありません:口語訳)」(ローマ信徒への手紙5:3~5)と言う言葉がありますが、この言葉の明示しているように、お互い人間が人生での様々な苦難に遭遇した場合に、そこでその苦難を耐え忍び、「忍耐」する時、忍耐は決してそのままで終わることなく、その人に「練達」生み出し、更にその練達の中から「希望」が生み出され、遂にその「希望」はその人の心の内に「慰めと励まし」を与え、遂には大きな「喜びと平安」を齎してくれます。何と言う「忍耐の恵み」でしょう。ですから「忍耐心・忍耐力」を小さいうちから養い育てておくことは何と幸いなことでしょうか。

しかし、この素晴らしい「忍耐心・忍耐力」は、決して誰にでもほっておけば身に着くと言うものではありません。勿論、自然と身について行く「忍耐心・忍耐力」と言うものがないわけではありませんが、その程度の「忍耐心・忍耐力」では、高潔な人間性や人格を身に着けるまでには至りません。とくに今日の日本社会では、この身に着けるべき大切な人間性・人格を形成して行くために必要な主要素の一つである「忍耐心・忍耐力」を欠如した軟弱な人々が、激増しているとさえ言われています。それは何故でしょう。

第一に、生活が豊かになり、何事も労さずに手に入り、物事を為すのに便利な時代を迎えているために、昔ほど何かにつけ労苦したり、我慢したり、励んだりする必要がなくなってしまったからです。そして大人たちがそのような便利な生活の中で、お金さえあれば子供たちのためにも、また自分たちのためにも手間暇をかけることなく安楽に暮らせるように、電化製品や機械道具、玩具や生活備品などを手軽に手に入れ、およそ何事についても安直に対処して行けるようになってしまっている今日の状況下では、もはや「忍耐心・忍耐力」を錬成する機会が大幅に奪い去られてしまっているようなものです。

そして第二に、何よりも両親たちが日々の忙しさに追われ、それもさることながら、それ以上に大切な自らの子供たちに対して、その幼少時代にしっかりと「忍耐心・忍耐力」を育成し、やがてどんな困難に直面しようとも、それを耐え忍び、克服して行くことが出来るように、充分にその精神力を鍛錬し、子供たちの未来に備えることが、自分たち両親にとっての極めて重要な天与の責任であり、役割であると受け止める強い認識が欠如してしまっているからです。

そこで何としてもこの時期にしっかりと子供たちに「忍耐心・忍耐力」を付けさせてあげたいものです。ではその「忍耐心・忍耐力」をどう身に着けさすかと言うことが次に重要になってくるわけですが、その方法はいくらでもあります。およそ子供に未経験な新しいことを取り組ませようとする時、そこには必ず興味・関心と共に、不安やためらい、時には強い嫌悪感や拒絶感を、のみならず更に恐怖感さえ抱く子供がいます。こうした時にこそ、そのような不安や恐れ、更にはいやがる気持ちや拒否したい心を愛と祈りとアガペーによる受容の精神をもって、子供の心に優しく寄り添いながら、怖がらず、嫌がらず、心穏やかに取り組むことが出来るよう導いてあげることが極めて大切です。その場合、子供一人だけをその課題の中に決して置き去りしてしまうことなく、親も一緒に同心・同行・同歩しながら、あたかも楽しいゲームや遊びに取り組むような思いをもって、共に歩んであげることです。しかも、決して無理をせず取り組み易い所から、一歩一歩取り組んで行くのです。そしてよく出来た時には大いに喜び褒めてあげるのです。また出来なかった場合でも決してそれを悲しんだり、責めたりしてはならないのです。むしろそこまで取り組んだことを大いに喜び、褒めてあげてほしいのです。そして次にはきっとできるようになるに違いないことを楽しみにするよう誘導してあげていただきたいのです。こうしたことを地味に着実に積み上げて行くところから、実に「忍耐心・忍耐力」、のみならず未知なるものや未経験な事柄に対して「精神的免疫体」のようなものが心の内に培われ、困難事や恐れていた事柄を勇気をもって取り組むことが出来る子供に育って行くものです。子供の内にはどの子にもそうした素晴らしい可能性と潜在能力が宿っているものです。それを上手に引き出してあげるのが親の責任であって、良い親となるための大切なステップでもあります。「親は子供と共に育つ」と言う昔ながらの言葉はまさに至言です。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。