愛による全面受容と心の癒しへの道(12)

峯野龍弘牧師

第2章 ウルトラ良い子の特質

8) 生命畏敬志向性

ウルトラ良い子たちには、もう一つの顕著な特質があります。それは「生命畏敬志向性」とでも言うべき特質です。この特質は前記の「他者受容志向性」より、更に一歩奥に踏み込んだ特質で、彼らの生まれながらの感性の中には、人間の生命ばかりではなく自然界の全ての命あるものに対し畏敬する、豊かな感性が宿っています。

彼らは本来先に述べたように、他者とりわけ弱い立場に身を置く人々や他者の助けを要する幼児や老人、病者や障害を身に負っている人々などに深い思いやりを持って、よくよく彼らを受容しようとする麗しい感性を持っているのです。しかし、その深層には人間の生命や自然界の全ての生命あるものに寄せる深い畏敬の念を本能的に宿しているのです。

この思いは、天地万物の創造主にして、全ての生命の与え主である神を畏敬する念にも通じ、それは霊的・宗教的感性と接点を持っていると言っても過言ではありません。それゆえ、彼らが良き両親たちの下で充分受容され、心傷つかず、まろやかに成長して行ったならば、早晩彼らは心優しい動物愛護や自然保護の心に富んだ、動物たちを愛し、昆虫と親しみ、美しい可憐な植物をいたわり育てるような人間になっていたことでしょう。なぜなら、彼らはそれほどまでに生来、生命を畏敬する心と感性に富んでいたからです。

ところが、これもまたこのような極めて尊い特質・感性を一向に理解されず、気付かれもせず、幼き頃より極度の非受容に遭遇し、更には否定さえされて育つことによって、早くもこの感性が抑圧され、極度のダメージを受け、遂には一見「生命畏敬志向性」など全く持ち合わせていなかったかの如き恐るべき言動に走るようになってしまいます。「生命畏敬志向性」などどこへやら、皮肉なことに子供たちが、母親に向かって「この婆ばあ!ぶっ殺してやる!」と叫び狂い、また可愛がっていたはずの小鳥や犬猫に危害を加え、時には遂に惨い仕方で殺害してしまったりすることが起きるのです。これまた何という悲劇でしょう。

極度の非受容や抑圧、更には否定を受け続けることによって、彼らの本来持っていた「生命畏敬志向性」がかえって仇となり、自らがこだわっていた「生命ある者」をあえて虐待、殺害することによって、自らをここまで追い込んだ人々に対して「生命否定志向性」に走り、「生命否定的言動」をもって復讐しようとするまでに、彼らの心がすっかり傷つき病んでしまうのです。

読者の皆さんは、このような厳かな彼らの現実と、彼らの悲しみと苦悩に満ちた心理を、果たしてどこまで理解していたでしょうか。ここに小僕がかかわった臨床事例について、紹介しましょう。(続く)

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。