愛による全面受容と心の癒しへの道(9)

峯野龍弘牧師

第2章 ウルトラ良い子の特質

のみならず、誰かが彼らの内にある絶対価値志向性からでた純粋な考え方を決定的に否定し、強烈な言葉で非難するようなことがあると、それは彼らの心の中に決定的な傷、つまりトラウマを与えてしまうことになるのです。悲しいかな、今日のような世俗的価値観と相対主義的価値観が主流をなす現代社会の直中(ただなか)にあっては、この絶対価値志向性を持ったウルトラ良い子たちが、次々と抑圧を受け傷ついていく結果とならざるを得ないのです。何と悲しいことでしょう。

5) 独創的志向性

さて、次に彼らには更に「独創的志向性」なるものが、その性質の内に宿っています。その名の示しているように、彼らは実にユニークな発想の持ち主で、通常の人々が到底思いつきもしないようなことを考え出してみたり、それに取り組んでみたりするのです。

彼らは素晴らしいアイディアマンで、時には普通の人間から見て極めて突飛で、かつ非常識に見えるようなことを思いつき、言ったり、為したりすることがしばしばあります。彼らは閃きが良く、かつ一旦何事かが頭の中に閃くと、そのことを成し終えるまで一向に他の仕事が手につかず、その一事に深くのめり込む傾向があります。その感性はまさに天才的で、彼らの内には発明・発見などに適する真の科学者的感性や、また素晴らしい作品を生み出して行く真の文学者や音楽家、芸術家の感性が豊かに宿っています。

ところがこれまた悲しいかな、今日の世俗的一般社会にあっては、こうした彼らの生まれつき有している素晴らしい独創的志向性を、深く理解し評価することなく、むしろそのような人間を常識外れの変人とみなしたり、そんな暇があったらもう少しましなことをして、人並みか、もしくはそれ以上の成果を上げて、良く世間に通用する人間となれなどと叱咤激励し、その尊い独創的感性をすっかり押しつぶしてしまうことが多発しているのです。まことに嘆かわしいこと、この上もありません。

その一例を挙げれば、小僕のケアーしていた青年の一人は、小さい頃から昆虫や小動物が大好きでした。他の子供たちと遊ぶことも、時には食事をすることも忘れて、昆虫や小動物の世話をしていました。

やがて学校に通うようになってからは、学校の宿題も忘れて生き物の世話に没頭していました。遂にたまりかねた両親は、勉学が遅れ、成績が下がることを恐れて、この子に今後一切昆虫や小動物を飼うことを禁止してしまいました。

それまではこの子は、だからと言って決して勉強しないわけでもなく、むしろまだ子供に過ぎないのに昆虫や小動物のことに関しては大の大人も顔負けするくらい物知りで、あだ名が「博士」と呼ばれるほどで、関連書物を読みたいばっかりに幼稚園の時には既にけっこう漢字交じりの文献を読破してしまっていました。

ところがこの超有能な天才少年が、突然の親の世俗的価値観から、学校の勉学が遅れ成績が下がることを恐れて為した“飼育禁止令”の結果、のみならず何の子供の了解もなく突然ある日、長い間愛をこめて世話してきた昆虫や小動物を処分されてしまったことのゆえに、大なるショックと悲しみを受け、その後しばらくは両親の言うことに服して勉学に励んでいましたが、徐々に無気力になり、勉強には何一つ手をつけないほど拒否反応を示すようになりました。

遂には不登校になったばかりか、対話も途絶え、更にはいらだちが激しくなり、暴力を振るうような子供になってしまいました。かくしてこの少年は、極度の自己破壊を引き起こし、自他共に危険のため、強制措置入院しなければならない人生を余儀なくされていったのでした。

この頃ともなると、悲しいかな彼の内にあったあの素晴らしい独創的志向性や感性の輝きは全く失われ、そこにあるのはただ心傷つき病んだ哀れな破壊的非生産的少年像だけでした。

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。