第35回「がん哲学外来 メディカル・カフェ@よどばし」

新緑の5月。今月も、樋野先生をお迎えできたことに感謝します。
短いひと時でしたが、初めての7名の方たちを含め、皆様それぞれに有意義な時をお過ごしになられたようです。今回も男性の参加者も多く感謝でした。
愛の中、『飛んでいけ~♪ 飛んでいこう~♪』と思えるひと時となるよう願いつつスタート!

 

まずは、「365日の紙飛行機」の歌詞をかみしめて一同で大熱唱!

  

 

樋野先生の「この歌は非常に良いね!あちこちで沢山のカフェをやっているけど、この歌を歌っているカフェはここ以外にないね。だから毎月ここに来るんだよ。」との愛情あふれるユーモアに一同大笑い。

 

  

 

 

では、さっそく前半の格調高い講話をお分かち致します。

 

☆「新島襄、国禁を犯して渡米し、ボストンで教育を受ける」
1864年(21歳の時)、アメリカに行きたいために、当時の開港の港の一つ、函館でアメリカに行く船を待った。その時に面倒を見てくれた宣教師に、日本語を教えた。函館に新島襄が出航した『新島襄海外渡航の地碑』がある。まずは、上海に行き、別のアメリカ行きの船に乗り換えボストンへ。船長Horace S. Taylorに会う。1865年7月Boston着。ボストンについてから、船長はワイルド・ローヴァー号の船主・A.ハーディー夫妻を紹介し、A.ハーディー夫妻は、新島襄を育てた。Phillips Academy に入学。1867年に Phillips Academy を卒業。1870年に Amherst College を卒業(日本人初の学士の学位取得)。Amherst College では、後に札幌農学校教頭となる William Smith Clark から授業を受けた。William Smith Clark にとっては最初の日本人学生であり、この縁でクラークは、来日することとなった。新島襄がアメリカにいる間に日本は幕末に入り、明治維新。岩倉具視の使節団に英語を話せる人が居なかった。使節団には勝海舟も入っていた。密航者の新島襄が、初代の駐米公使となった森有礼によって正式な留学生として認可された。1872年、アメリカ訪問中の岩倉使節団と会い、そこで、木戸孝允は、新島襄の語学力に目をつけ通訳者として、使節団に参加させたのである。
人間何が良いか悪いかわからない。
    →時がその人を要求する。

 

 

☆函館往復の飛行機の中で、スイスの医師:Paul Tournier の本を熟読した。想えば、1977年来日の Paul Tournier の神戸(兵庫県民会館に於いて)での講演を、前列で、目の当たりに聴講したのが鮮明に甦る。その時の学びである『医師の2つの任務〜学者的な面 & 患者と温かい人間としての関係を築く〜』が、2008年に始めた「がん哲学外来」の起点である。人生の不思議な邂逅の物語である。

 

 

☆「同志社大学」をつくるのに新島襄にお金はなかった・・・
    勝海舟「お前の学校つくるのに何年かかるか?」
    新島襄「200年かかる」
 →勝海舟は認めた。
       もし、「5年10年で理想の学校をつくる」と言ったら
  勝海舟はおそらく認めなかっただろう。

 

☆「自分の死んだ後に実現するようなことを明日実現するかの如く話す胆力」 
 →勝海舟「百年後に一人でも自分のことを思い出してくれる人物がおれば良い」

 

 

☆「がん哲学外来の原点(医師には2つの使命がある)」
 →(樋野先生は)1977年に神戸にスイスの医者の講演を聞きに行った。ポール・トウルニエ博士
 ➀学者的な面  最新の診断・治療
 ②患者と人間としての温かい関係を築く(失われつつある)
  人間的な責任で手を差し伸べる

 

 

☆名古屋のカフェでは中学生が迎えに来た。お茶出しも中学生。すごいね!

 

 

☆「病気であっても病人でない社会をつくる」
 →病気も単なる個性であるという社会、時代をつくる(がん哲学外来の目的)
 →お茶を飲みながら

 

☆「病気も単なる個性」 

 

☆「長野県東御市教育委員会のがん教育の手引書~漫画」
 →シリアスな大変な病気の話をユーモアに

  

 

☆「『空っぽの器』友の会」   何もない  名前だけ
 →しっかりしていて、底が抜けない。
 →懐が深く、寛容であるが、わきが甘い「空っぽの器」が必要
 →来た人が水を入れる
 →何か相談に行くとかいう時代ではない。存在自体が重要。
 →To Do の前に To Be だから
 →水を入れて用意すると、入れない

 

☆「『砂の器』ではダメ」  
 →松本清張の『砂の器』では誤解があった。
 →秋田弁と出雲弁は違うのに、他の人から見たら、なまってるから同じに聞こえた・・・
 →「標準的な人からみたら似ている」と言われると傷つく。
 →本人が見たら違う事実
 →人間は個別性。一般論ではだめ!
 →City Boyだとわからない。
        樋野先生の故郷は57名の人口60%の空き家率。無医村。
  小学校も中学校も廃校。多様性。

 

☆「自分より苦しい人がいる」
 →自分が一番困っていると思わない。
 →耐えられないような苦しみは与えられない。

 

☆「使命感をもって生きる」 
 →「誰をつかわすべきか?」と言われ
  「私はここにいます。私を遣わしてください。」と自分から言う。
 →役割使命を見つけに行く。家に閉じこもっていたら来ない。外に踏み出さないと。
 →どんな小さなことでも良いから無邪気に喜んで小さなことに大きな愛を込める。

 

 

  

 

その後、「テーブルごとの分かち合い」&「樋野先生との個人面談」の時となりました。
初めて参加された方は、初めはかなり緊張気味な感じでしたが、しばらくすると前からお互い友人だったかのように、不思議にどのテーブルもお話されていました。
各テーブルでどんな話をなされたのか発表の時・・・

 

☆「初めての方3名と共に色々な病気の話など悩みをお互いに分かち合いました・・・」

☆「医師より同席の『余命3ヶ月』と宣告された方が、にこやかに話される姿に本当にびっくりするやら、感動するやら・・・しかも、その方は、色々な方と交流されておられ、『楽しい毎日だ』とおっしゃる・・・『こんな方は滅多にいるもんじゃないな』・・・今日は来て本当に良かったです。励まされました・・・」

 

☆「充実した話を聞けました」

 

☆「自分の悩みを話したり、他の方の苦しみの話を聞いたりするチャンスを与えられているこのカフェが今の一番の楽しみ、自分の存在の意味です」

 

☆「大変な中を通っているが、『自分を一歩ひいてみる』大切さを知りました」

 

☆「天に送られた家族の方より、どのように『最後の5年間』を過ごされたのか伺い、『そんな生き方もあるのか」と感動しました」

☆「今回初めて参加しましたが、日ごろ耳にすることのない『素敵な言葉』に次々と出会えました」

 

☆「このようなカフェは今まで初めての経験でした」

 

☆「同席した一人ひとりの課題は違いましたが、それぞれに『がん』との戦いの中で前向きに生きるヒントを切に求めておられる方々と共にお互いの話を分かち合わせて頂きました。

☆あるスタッフからは「それぞれの深刻さに、何をどのうように言えばいいのかわからなかったのですが、『解決はできなくても解消ができたら・・』『この会に来て良かったな』と思って頂けるように祈りつつ分かち合いの時をもたせて頂きました。

☆「『読影力(どくえいりょく)』・・・読み取る力の必要に共感しました」

 

☆「苦しみは本人しか分からないが、このように語る場所が与えられていることがありがたい」

 

☆「家族や友人や知人が『がん』になり、いろいろインターネットで調べているうちにこの会の存在を知り初めて参加しました」 

☆「『こんなに男の人もしゃべるんですね!』と同席の女性の方に言われました(笑)」

 

☆「病院では話せないことを話せました。貴重な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。」

 

すごいですね!

なるほど、皆さん、徐々に盛り上がって話に話が咲いていたのも分かりますね!

 

 

 

そして、格調高い樋野先生の講話、後半。ポイントだけですがお分かちさせて頂きます。

 

☆「今日は男性が多かったねえ。男性が集まれる会は日本には少ないから、こういう会は良いね!」

 

☆「中国語に訳される『信徒の友』の連載」

 

☆「30分間、お互いが苦痛にならない人間になる」
 →話そうが、黙っていようが、30分間顔が見える距離でお互いが苦痛にならない存在になる訓練。
 →日本は対話学の訓練がされていない

 

☆「人生いばらの道、されど宴会」
 →一番苦しんでいる人がにもかかわらず笑うと慰められる。
 →「病気であっても病人でない」

 

☆「どんな境遇に関わらず、歯を食いしばって人を褒める習慣」
 →嫌な人間が居ても「すごいね」で良い
 →人は評価したり、貶(けな)したりしてはいけない
 →人はネガティーブなことをいうと漬け込む
 →「すごいね」と言うと去っていく
 →付加をするとつけ入れられる
 →イエスかノーで答えたら終わる

 

☆厚いつもりで薄いのが人情
 →人のことを思っているわりには人情が薄い
 →自分では厚いつもりでも、人を傷ついている

 

☆弱いつもりで強いのが自我
 →自我を出すと人を嫌にさせる

 

☆「人間はつもりちがいで生きている」
 →ほっとけ
 →気にしない。
 →人と比較しない。多くの人は、人との比較で一日悩んでいる
 →自分が何で悩んでいるか日記をつけたら良い

 参考 <つもりちがい十ヶ条>
 一、高いつもりで低いのが教養
 二、低いつもりで高いのが気位
 三、深いつもりで浅いのが知恵
 四、浅いつもりで深いのが欲望
 五、厚いつもりで薄いのが人情
 六、薄いつもりで厚いのが面皮
 七、強いつもりで弱いのが根性
 八、弱いつもりで強いのが自我
 九、多いつもりで少ないのが分別
 十、少ないつもりで多いのが無駄

 

☆「人間の性(さが)」
 →ロビンソン・クルーソーのように孤島に住んでいたのでは、良い人か悪い人かわからない。
  人間社会の中に住ませて初めてその性(さが)が明らかになる。
  相手が不愉快になるか、相手が慰められるか。
  集団の中に入るとその人の性(さが)が明らかになる
 →「対話学を勉強するためのメディカル・カフェ」
 →がん患者であろうとなかろうとこういうところにくると、その人の性が明らかになる。
  悪いと思ったら直す

 

☆「偉大なるお節介をする人物になりましょう!」
 →他人の必要に共感 
 →自分の気持ちで接しない

 

☆「人間は形容詞の世界に生きている」
 →名詞は良いか悪いか決めれない

 

☆「ユーモア(あなたをもっと)」  
 →自分のためにユーモアをいうのではない
 →相手のためにするのがユーモア  

 

☆「日間(ひま)になると光が差し込む」
 →皆、太陽の光に反射しているだけ
 →起きている時間、仕事の時間を除いても数時間残る・・・その自由時間の過ごし方を考える。
 →一見、肩書などが忙しそうでも、「本当に偉い人」は「日間」

 

☆「一見華やいだ生活をしているような人も夜の18時になると無性に寂しくなることが多い」
 →日本人の特徴  
 →なぜ昼と夜でギャップがあるのか?

 

☆「本当に良いものはゴミの中に輝く」
 →本当に良いものは立派な物の中にあるものではない
 →「飼い葉おけ」に輝く
 →「ゴミの中」には誰でも行ける
 →「『行けるか行かないか(境遇に左右される)』」ではなく、『行くか行かないか(自由意思)』」

 

☆「ダブルメジャーの時代」
 →「衣食住のための仕事」と「自分の役割と使命(生きがい)のための働き」
 →「看板かじり」のように生きられなくなった。昔のように「出世街道」・・・という時代ではない
 →衣食住が足りて会社で干されたら「日間」になり、自分にしかできないことが与えられる。 
 →人と競争している限り「本当の役目」は与えられない

 

 

☆「樋野先生が本当に尊敬する3人の共通項」
 ➀どうみても日間
 ②練られた品性
 ③綽綽たる余裕
 →一喜一憂せず、あくせくしない
 →新しい事にも自分の知らないことにも常に努力する人

 

☆「グレーゾーンを確信をもって語るには愛しかない」
 →わからないことは「わかりません」と言う。
 →100%でない知識、情報に答えは出せない・・・「わかりません」
 →「あなたのことを愛しています」と相手が分かれば解消できる
  「先生がわからないなら、これで解消しました」
   解消したら痛くても痛いと一言も言わなくなるのが人間の不思議。
 →何を言ったかではなく誰が言ったのか?
  同じ言葉も、言った人によって慰められ、言った人によって傷つく

 

☆「人間はどんな境遇に関わらずチャンスがある」

 

 

☆「空っぽの器(カフェ)を用意する」
 →人間だからカフェをやる。
 →一人位は心に響く人がいる
 →本当に悩んでいる人は目を見たらわかる

 

 

☆「1人のために授業をする・・・」
 →本当の教育
 →今は「良いね」と言われたいために99人に授業をする人が多い
  どんな日にも、その日に悩める人が一人はいる。

 

☆「教育とは全て忘れた後に残るもの」

 

 

今回も樋野先生の宝石のような「言葉の処方箋」をそれぞれに頂けたようです。言葉の一つ一つが心に届き、根づき・・・参加の回数を重ねていくごとに蓄積されて行くのを実感します。たとえ同じ話を聞いたとしても、感じ方、心身への浸透の度合いが深まっていくのを体感します。そして、日常生活の『もうダメだ』『なんでこうなるんだろ♭』と落ち込むときに、「言葉の処方箋」が不思議に湧いてくるのです・・・。

 

本当に、毎回毎回ご多忙の樋野先生から直接「言葉の処方箋」を頂けるのは破格の恵みです。「先生の含蓄のある言葉や先人たちの言葉に耳を傾けつつ、いかに現実を受け止め、肯定的に生きていくのか」、「比較でなく、自分らしい生き方」「他人の必要に共感して空(から)の器として生かされていく」・・・他では味わえないようなことを体験できたことを感謝します。

 

 

 

参加したくてもどうしても参加することのできなかった人々のために、病の中で苦しんでおられる人たちのために癒しと回復をお祈り申し上げます!

 

 

17メディカルカフェチラシ3     

 

 

次回は6月1日(木)13:30~16:00です。皆様のお越しをお待ち申し上げます☆

 

2017年12月までの予定も確定していますのでこちらをご覧ください。

特に、7月2日(日)13:30~「がん哲学外来 メディカル・カフェ@よどばし」3周年記念で樋野先生との「特別対談」を企画しております!今から手帳に書き込んでおいてください☆必聴、必見です☆

 

  

 

※個人面談も3人程可能ですが、事前申し込みが必要です。個人面談をご希望の方は、3日前までに yodobashi@church.email.ne.jp または03-3368-9165 で、中村和司/市川牧子担当教師宛でご連絡「○月メディカルカフェ面談予約」でお申し込みください。最近は、事前申し込みをしないと、当日では面談してもらえないことが多いのでご注意ください。

 ※個人面談が不要の場合は、登録の必要はございません。当日お気軽にお越しください。

※ご多忙の樋野先生のご都合などにより3週間ほど前までは日程変更もありえますので、このサイトや電話などで直前に今一度ご確認くださいませ。 

 

 

なお、「がん哲学外来 メディカルカフェ@よどばし」の第一回目から今回までの内容は こちら にアップされていますので、時折思い出しては何度も読み返してみられるのも良いかもしれません。先生の顔写真などの画質は相当小さくしていますが、雰囲気はお楽しみ頂けると思います。

 

 

 

樋野先生の出版されている著書は実に沢山あるのですが、以下の本などは「がん哲学外来 メディカル・カフェ@よどばし」でもお買い求めいただけます。本当に連日テレビや雑誌で樋野先生や「がん哲学外来」や「メディカル・カフェ」が取り上げられています。すごいです!

 

樋野先生の柔和な表情をご覧いただくだけでもほのぼのしますが、ことばの処方箋素晴らしいですね!よく効きます!無料!副作用ゼロです!年間の予定が出ていますので、是非、お気軽にいらしてください。途中の出入りもOKです!

 

様々なことで、どうしても参加が難しい方には、沢山ある書籍の中から特に以下のものをお勧めいたします☆
先生が、よく言われる言葉に「人生の3大邂逅」があります。その中の一つ、「よき読書」です!

 いい覚悟で生きるがん哲学外来から広がる言葉の処方箋  明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい

見上げれば、必ずどこかに青空が  がん哲学外来へようこそ (新潮新書)

あなたはそこにいるだけで価値ある存在   がん哲学外来で処方箋を カフェと出会った24人

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※著書「がんに効く心の処方箋 一問一答」は、実は、最近の隠れた「メディカル・カフェ@よどばし」でのベストセラーです。他の本も人気があるのですが、ここ数ヶ月は一番人気です(笑)。

 

 

そして、なんと「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」が中国語に翻訳されました!
韓国語版も販売されていますが、題名が「偉大なるお節介」となっていますのでご注意ください。

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とにかくすごいです!次から次に毎月のように著書が出ています!

 

どなた様も、お気軽におらしてください☆

がんの方も、がん患者の家族の方も、人間関係に疲れておられる方も、元気な方も、初めて方も、「将来のために」備えたい方も・・・どなた様も大歓迎です☆


※今後の予定は こちら

※淀橋教会への行き方は こちら

 

 

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さて、この素晴らしい樋野先生の講話・・・実は日本各地、時には海外で連日のように講演をされています。
詳しくは 「一般社団法人 がん哲学外来」 をご覧ください。

現在94カ所ほどのメディカル・カフェが全国で行われていますが、全国に7千ヶ所必要と言われています。
医療の隙間を埋める場として、ますます必要が叫ばれているこの働きがさらに広がっていきますように!
世界の悩める人々のために豊かに用いられますように!