アガペーCGN第80次:4月16日(日)~21日(金) 岩手県大槌町、大船渡市、陸前高田市
今回は、大槌町内の各所訪問がメインの働きでしたが、最近あまり訪問できなかった大船渡市や陸前高田市の各所訪問も実現しました。昨年までは1ヶ月訪問しないと、道がコロコロ変わって、「訪問地が見えていても、工事による臨時の『行き止まり』だらけでなかなか到着できない」状況でした。今回は3ヶ月ぶりの訪問でしたが、各地域の「声かけ役」の人たちがほぼ皆さんごそっと辞めておられていてびっくり仰天でした!複雑な気持ちで4月を迎えた方も多かったようです。ちなみに、事前の週間天気予報では、ずっと雨の予定でしたが、不思議に「傘要らず」でした!感謝!
<4月16日(日)> 晴れ
21時35分に池袋駅を出発。夜行バスで一路釜石へ。
道中、隊員は今年初めての満開の夜桜を見学でき感動!きれいでした!
<4月17日(月)> 晴れ
釜石でレンタカーを借りて大槌町へ。
まずは、気になっていたAガソリンスタンドを訪問。既に、新しい土地でのお仕事をされているはずが・・・盛土もまだで移転のメドがたたず、またお会いできました!恒例の「飴っこ」でお出迎え。タイミングをずらしてお二人と話が出来ましたが、「『うわ~!久しぶり!誰かと思ったら!!!最近、顔を見ないけど、元気かな?
どうしてっかな?』って時々、思っていたのでびっくりした!」と喜んでくださいました。被災した役所を保存するか、解体するかで大きく議論を繰り広げられてきましたが・・・。町民の意見も様々でなかなか即決できないそうです。
救助犬との再会☆岩泉の災害の時にも出動していました!
町を見渡せる高台に登ってみると特に桜がきれいでした。
震災後7回目の桜・・・毎年、違った思いで見えて来る桜です。同じ桜の木なのに、確かに違って見えます。ちなみに「盛り土」「区画整理」のために多くの桜の木が根こそぎ切られています。
その後、今回の宿になるBハウスに向かい、昼食&お互いの近況報告。
その後、1軒訪問。そして、地元の「歌っこ」の会に顔を出してから、FIDRが新たに建設した建物を探しに行きました。・・・。
次に、今回は宿泊しませんが、よくお世話になっているC旅館を訪問。途中で、隊員が大槌にいることを知って初期の頃からお世話になっている地元の方から「今どこにいる?」と電話・・・合流し、双方貴重な交わりの時を持たせて頂きました!震災後に仮設店舗をグループ補助金で使った場合、「本設店舗再建」の時には、もう補助金を受け取れない・・・。しかも、仮設店舗は期限つき・・・。当時は、皆が初めてのことで何も分からず、ただただ『このままじゃだめだ。何とかしなければ・・・!前に進まなければ・・・。心配して励まして下さる常連様のためにも早く再建しなければ・・・』という一生懸命な思いで仮設店舗を再建したのが逆効果・・・誰も経験、利用したことのなかった『制度』『補助金』・・・。
その後、アガペーCGNが関ってきた3つの畑を見に行きました。ネギは鹿に食べられていました・・・。
イチゴは美味しそうに育っていました。
昨年はアガペーCGNの隊員達もジャガイモ植えのお手伝いしましたが、今年は昨日皆さんで植えたようです!
道中、やたら川の中に、本来あるはずのない土砂、大きな石、木が沢山あり、川幅が随分と狭くなっているのに気づきました。地元の方に聞いてみると、昨年の台風(岩泉が大きな被害を受けた)の影響で、まだ対応しきれていないということです。
移動中、Dさんを目撃☆お元気そうでした。元気に盆栽の水やりをされていました。
また、『懐かしいなあ』とひときわ高台にあった吉里吉里小学校をふと目を向けると、1年前まではかなり急な坂道を上がり続けた、かなり高台にあったはずなのに・・・低い!!!理由は、小学校の周辺が盛り土でかさ上げされた影響です!!!あまりにも低くなっていてびっくりしました!!!
夕食は地元の方と☆山菜(ふきのとう、タラの芽)とアナゴの天ぷらや、新鮮なお刺身を頂きました!
山菜は、絶妙なほろ苦さがとてもおいしかったです!春を味わえました!
お刺身も新鮮で極太で美味しかったです!
宿のEハウスに19時過ぎに戻り、順次風呂に入りながら子どもたちの宿題&卓球大会!予想以上に卓球大会が盛り上がり、休憩なしで1時間以上遊び続けました。21時半には卓球大会終了で、「一日の感謝だったこと」の分かち合いとお祈りの時を一人ずつ持って解散。
23時半就寝。夜中はものすごい大雨と強風でした・・・。
<4月18日(火)> 小雨(8時まで)のち快晴(熱中症注意報)
5時半起床し、朝食とデボーション。
7時半に海へ行き、漁港で最近の様子を伺う。
その後、港のFさん一家を訪問すると「あっ、誰かと思ったら、○○ちゃん!!!(隊員の名前)」。隊員は、働く気満々でしたが、「3月から休みなしでワカメをやってきた。今日は『しけ』だし、仕事休みにしたよ」とのことで、片づけておられた・・・。Fさんは夜中の1~4時は海でワカメをとって、6時~17時は処理、商品づくり・・・。でも、今日は、仕事が朝の8時に打ち切りになったので、かえって30分ほどお話できました。ばあちゃんや妹たちともすごく良い時をもて、感謝でした。しかも本人の希望で隊員が肩もみをするとすごく喜んでくださいました。
初期の頃から関わりをもっている仲間のGさんが、期間限定の巨大な船の修理をしていると聞いたので、様子を見に行くと、再会を喜んでくださいました。
予報通りに実に見事な快晴で、喉が渇きました。盛土も進んでいますが、まだまだ年月がかかりそうです・・・。
H地区の自治会長さんを訪問予定でしたが、あまりの道の変化に何度もぐるぐる回り・・・しかも担当者が代わっておりビックリしました。
I仮設団地集会場に行くと、ばあちゃんたちがカラオケ大会をされておりました。
複数のばあちゃんが、黄色のパーカーを着てないのに「見たことある!アガペーさんだよね!」と声をかけて下さり、うれしかったです。
Jさんを訪問。町中で出会った家族の方から「○○は、3月で仕事を退職しました。『アガペーさんには初めからいろいろとお世話になったから、ちゃんと直接お礼も挨拶もしたい』と言っていたから会いに行ってあげて」と言われ、住所も教えて下さったので、訪問すると・・・。何も事情を知らずの訪問でしたが、1時間以上の時を共に過ごせて感謝でした。
その後、Kさんがまとめ役をされていた地域の集会場に行くと・・・鍵は開いていても、だれもおらず・・・。昨年までは、イベントがあってもなくても毎日10~16時はいつ行っても10名前後がお茶っこなどでいろいろと楽しんでおられたのに・・・温みも全くなく驚きました。『いつから使用していないんだろう』・・・仮設にはまだ半分ほどの人が住んでおられるとのことです。ふと仮設住宅に目を向けると見覚えのあるおじいさんが寂しそうに洗濯物を干しておられました・・・。
L地区の談話室にも行ってみましたが・・・誰もおられなかったです・・・昨年まではいつでも数名がお茶っこされていたのに・・・たまたま今日だけ、皆さん忙しかったのかもしれませんが・・・。
「集会場がなくても、皆さんが『居場所』をそれぞれにもつことが復興」とも考えることはできましたが、なんとなく淋しさを抱えたままM高齢者施設に向かうと、所長さんも複数の職員さんたちも、隊員の顔を見るなり半泣きで、目を赤くして「アガペーさん!!!わぁ!!!覚えてますよ!!!まだ覚えて下さってたんですか!!!最近見かけなかったし、もう来ないのかと思ってました!」。三ヶ月空いただけで、この歓迎ぶりをされてびっくりしました・・・。ばあちゃん、じいちゃんたちはレクリエーションを楽しんでおられました。
続いてO幼稚園を訪問。年度はじめで子供たちが落ち着ていないと悪いと思ってわざと放課後の16時に訪問しましたが、子供たちは早くも落ち着いているとのことでした。複数の先生たちが隊員の顔を見るなり走り寄って来てださり「『去年までは3月に来ていたのに、今年は来ないから、もう来ないのかな?忘れたのかな?』って思っていたんだけど、覚えてくださっていたんですね!」と大喜びされました!
「実は、3月に50周年の記念の時をもったのですけど、アガペーさんにも声をかけたかったけど、最近来られてなかったので、かえってわざわざ来ていただくのもご迷惑かと思って遠慮して声をかけなかったのですが・・・」と記念品と式次第などを下さりました。なぜこの3か月訪問できなかったのか(隊員の腰痛)を説明するとご理解下さり、「大事にして下さいよ!」と、いたわってくださいました。しばらくすると見たことのある子がピカピカのランドセルを背負って幼稚園に遊びにきました。震災当時はまだ生まれてなかったのに・・・毎年毎回訪問するたびに成長を見せて頂いてきましたが、時の流れをひしひしと感じたひと時でした。
P保育園では、段ボールでつくった迷路で子供たちと一緒に楽しく遊びました。
Q学童は、予告通り場所が移転していたので、新しい施設を見学に行ってきました。隊員の顔をみるなり、指をさして「あっ、見たことある!」「あっ、アガペーだ!」と叫ばれました。
R公民館は代表の方が3月末をもってまさかの退職。住民の人たちによると「支援員さんたちも皆やめた・・・」とのことでした。・・・。沢山の桜の木があったのに、一本だけ残された桜の木を見上げると、この7年間のことが走馬灯の如く思い起こされました。
そして、Sさん宅を訪問。12月には、病院にお見舞いに行けましたが、その後お会いすることなく1月に天国へ凱旋された93歳のじっちゃんの訪問でした。奥様が、「○○ちゃん(隊員)が来たら見せようと思ってた」と一つのカバンから次々と思い出の品を見せて下さり、ゆっくりと過ごせました。息子さんのとってきた昆布としいたけとごぼうで、煮物をつくって持たせて下さり、思い出の話をたくさんして下さいました。笑顔の奥には淋しさもにじみ出ていましたが、自分で自分を励まし、前向きに生きようとしておられる姿に感動しました。
無口なSじっちゃんは、「わたしは頭も悪いし、性格も曲がっている」と言う奥様に、「○○さんは、頭は良い!性格も良い!すごく優しい!」と言っていたようです。息子さんには「母さんのこと頼んだよ」と遺言を残しての凱旋だったようです。震災直後から多くのテレビや新聞などで取り上げられてきたご夫妻でしたが、実はとてもシンプルな生き方をされていました。常に希望を捨てず、感謝の心を忘れずに、自分が犠牲になっても分け与える心をお持ちでした。新聞を改めて読み返してみると「希望は捨てない」「もし可能ならば復興した町を見たい」「戦争中はシベリアで捕虜生活」「津波三度経験」「鎮魂の思いを込め 刺し子1200枚」・・・Sさんの声が聞こえてきそうでした。
18時半~お母さんの所で夕食。その後、震災当時の話、復興の話、家族のこと・・・話は尽きず、気づけば23時過ぎ・・・幸せな時でした!
報告書をまとめて、夜中の1時過ぎに就寝。非常に充実した一日でした!
8時から、3時間半わかめの手伝いに励みました。
海を見ながらおやつの「御煮しめ」とコーヒー・・・最高です!
あまりにも地域の代表の方たちが変わっていたので事情を伺いに社協へ。
昼食も美味しかったです!会えないはずの超多忙の「お母さん」にもギリギリお会いできました!いつも不思議に会えるのは感謝!
新しくできたT公民館の臨時の館長さんにご挨拶し、館内を案内して頂きました。
その後、地元の方たちと夕食。55時間の大槌町内滞在で、なんと138Km走行しました。18時半に大槌町を出発。
大船渡市のU仮設団地に19時半頃到着し、地元の方との貴重なひととき。
そして、宿では、震災後から今までのことや今後のことなどを語り合いました・・・。
気づけば2時半・・・。
報告書は書かずにすぐに寝ました。
<4月20日(木)>
6時半起床、8時出発。
その後、「Vばあちゃん」を訪問。「食べる支援」・・・次から次に出てきます・・・各種饅頭、ホヤ、ほうれん草、大根の漬物・・・すごくおいしかったです!
仮設や、復興住宅、県営住宅は同じような家ばっかりで『自分も来てくれる人も、わからないだろう』という理由で、「黄色いハンカチ」の目印を思いついた「Vばあちゃん」のユーモアさに学びました。
陸前高田市は半年ぶりぐらいの訪問で、目印になるものも道も全く変わっており、運転に苦戦しましたが、無事すべての訪問を行えました。あちこちものすごい盛土で全く景色が違って見えました・・・。
保存するわけではないのに、まだ解体のできていない建物もけっこうありました。
ちなみに、この地域ではオカモトセルフの看板の上部まで津波が到達しており、「津波水位15.1m」という表示が看板にされておりました。
その後、半年以上顔を出せなかった人々を訪問するのに、時間調整のために「奇跡の一本松」を見に行くと次から次にお祈りに来られていました。
そして、W教会を訪問。近所の方にもお会いできました。近所の皆さんも覚えて下さっており感謝。この6年を共に振り返り、「祈りは聞かれる」ことを共に分かち合え感謝!
釜石でレンタカーを返却し、20時半過ぎに夜行バスに乗り込みました。
<4月21日(金)>
往復は夜行バスでしたが、自己走行は大槌町内だけで55時間で138Km、それ以外の走行も含めると5日間で310Kmの運転となりました。
日本各地で震災が次々と起き、東北を訪問する団体は皆無に近く、「こんにちは」と顔を出すだけでびっくりするほど喜ばれます・・・。また、毎月11日にもたれている復興支援のお祈り会に参加することも大きな復興支援です。それぞれにできる復興支援をさせて頂きましょう☆
今回、立場の違う多くの人たちが話しておられたことで共通する声がありました。
「復興計画にそれぞれの思いがあり、皆が賛成・反対できるような工事はまずない。目先の利益、特定の人たちの利益ではなく、20年後、30年後に子どもたちが『将来この町で住みたい』と思えるような魅力ある町づくり、産業づくりをして欲しい。今は、若いものが高校を卒業したらほとんどでていき、出て行ったらほとんど帰ってこない・・・震災後とくにその傾向が強い・・・なんとかしなければ・・・悪循環になる・・・」とのことでした。
仮設はあくまでも仮の住まいです。しかし、盛土も道も色々なものが工事中。復興住宅に移るか、家を建てるか、他の町に引っ越すか・・・また、引っ越すタイミングも様々。それぞれに仕事や生活、事情があります。そんな中、まとめ役を今までして下さっていた各地のリーダーの方々、支援員の方々、見回りの方々に敬意と感謝を申し上げます。一方で、『いつかこの日は来る』と分かっていたけど、リーダーたちが、声をかけてくれていた人たちが一人また一人と去っていくことに淋しさを覚えておられる方も予想以上に多そうでした。「仕方ない。それぞれに事情があるから」とおっしゃる皆さんの目には淋しさがあふれていました。また、一人暮らしの方ほど、復興住宅に入るのを嫌がっておられるようです。「仮設に居たら、隣の物音も聞こえるし、何かあった時にも助け合えるけど、復興住宅はしっかりと鍵もかかり、隣の物音もしない・・・孤独に耐えられない・・・」とおっしゃる高齢の方も複数おられます。
建物の復興だけでなく、心の復興、霊の復興もお祈りさせて頂きます。
最善がなるように祈りつつ、第81次にバトンを渡します。