安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(10)

峯野龍弘牧師

第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか

Ⅱ. 主イエスを仰ぎ見て絶えず祈る生活

さて、「主と共に、主イエスに倣って」生きる生涯を築き上げて行くために大切な第二の点は、言うまでもなく「主イエスを仰ぎ見、主イエスに倣って祈る」と言うことです。主イエスご自身がこの地上でのご生涯において、如何に祈りを大切にされ、よく祈られたことでしょうか。

主イエスは、ヨルダン川でバプテスマのヨハネによって洗礼をお受けになられたあの時、川から立ち上がられた主は、先ず何をなされたでしょうか。福音書記者の中の一人であったルカだけは、そのことを見落とすことなくこう記しています。すなわち「イエスも洗礼を受けて祈っておられると」(ルカ3:21)と記しています。つまり主イエスが洗礼をお受けになったその直後に先ずなさったことは、御父への「祈り」だったのです。そこで御父はその御子の祈りにお応えになって、天を開き、聖霊を鳩のように主イエスの上にお降しになり、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(同22)と天からお声を掛けられたのでした。

その後、主イエスはいよいよ本格的な公生涯にお入りになられ、各地を巡回し御国の福音を宣べ伝え始められました。それと共にいずこにおいても多くの病人たちを癒し、悪霊から人々を解放なさいました(マタイ4:23~24,マルコ1:34)。しかし、主イエスは日々、これらの働きを御進めになられるに先駆けて、先ず御父の御前に出られて祈りの時を持たれました。福音書記者のマルコはこう記しています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)と。
 まさしくこれは主イエスがその日の働きを始める前に、朝毎に御父の御前に進み出て、時を聖別し、祈りに費やし、その一日の働きに備えて、早天祈祷を持っておられたことを示唆しています。

また主イエスは、その日一日の働きを終えた時、夕暮れに、若しくは夜に、その一日の働きを感謝し、またそれに関連のある人々や大事な事柄について、御父の御前に一人静まって祈られたのでした。同じく福音書の記者の一人であったマタイは、そのお姿をしばしば目撃し、かの「5千人給食」の出来事のあった日の夕暮れ、一人山に登られお祈りなさったことを記録しています。「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」(マタイ14:23)と。
 のみならず、その前後の記録を読むと、どうやらその夜は夜通し祈っておられたようです。朝晩はもとよりのこと主イエスは、事あるごとに一人静まって祈ることを怠りませんでした。それは主イエスご自身にとって、何よりも慕わしく喜ばしいひと時でした。のみならずこの日毎の祈祷生活こそが、主イエスの力の源でした。

時には愛する弟子たちと共に静かなところに行って祈られることも、しばしばありました。わけてもそうした中でも「変貌山での祈り」(マタイ17:1~8)の時と、「ゲツセマネの祈り」(同26:36~46)の時は、まさに圧巻と言えましょう。

更に主ご自身が大切な働きの最中で祈られた祈りが、数々福音書中に記録されています。例えば「5千人給食」の出来事の中で「讃美の祈り」(マタイ14:19)を献げられ、子供たちを祝福する時(同19:13~15)にも祈られました。また「ラザロの復活」の時にも祈りを献げられました(ヨハネ11:41~42)。特に「最後の晩餐」の時に、「讃美の祈り」、「感謝の祈り」(マタイ26:26~27)を献げなさったばかりか、後世では「至聖所の祈り」とも呼ばれるようになった重厚な弟子たちとの告別のための「聖別の祈り」(ヨハネ17:1~26)を献げられました。

そして何よりも決して忘れることの出来ない最も大切な祈りを、主イエスは十字架上でお互いすべての人間のためにお献げ下さったのでした。「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と。

これこそが全人類のための「罪の赦しと贖い」のための究極の「愛の執成しの祈り」でした。このように主イエスが常に御父に祈り、事毎に深く祈り、その生涯を過されました。それゆえその御生涯は、まさに祈りに満ちたご生涯以外ではありませんでした。このことは主イエスが常に何事においても、如何なる時にも御父の御心を伺い、その御心に従って歩むことをもっぱらとしておられたことを意味しています。それゆえ主イエスは、御父と共に歩まれ、御父に栄光を帰すことが出来たのです。ですからお互いもまた主イエスの御心の内を生涯歩み、主に栄光を帰すために、常に目覚めて祈り続けることが必要です。どうか生涯、主イエスを仰ぎ見て、「主と共に、主イエスに倣って」、日々祈り、事毎に祈り進んで行こうではありませんか!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。