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自画像に悩む(7)

峯野龍弘牧師

Ⅱ,如何にしたら「自画像」を愛せるのか

3,キリストにある新しい自画像を愛す

自画像を愛する事が出来るようになるための今一つの大切な点があります。これはより積極的な営みで、喜びと希望に満ちた輝かしいプロセスです。それはキリストの内にあって新しく形成されてゆく新しい自己発見を意味し、聖霊の恵みと力に満たされながら、ひたすら主と同じ姿に変えられて行く、約束の聖められた自画像です。ここにこそ、自らが今まさに約束されキリストにあって確実に受け継ぐことの出来る未来像が浮き彫りされています。そこで、このキリストにあって恵みの内に約束されている聖なる輝かしい自画像に憧れ、かつ魅せられ、その実現目指してひたすら前進して行くときに、お互いは見事に自画像を愛することの出来る者になるのです。すなわち、今までの我執に支配され、世俗の価値観に縛られ、世の人々の評価に怯えながら生活していた愛せない古き自画像を脱ぎ捨て、キリストにあって既に聖別されている新しい神の子としての自らと、またその自らに約束されているキリストに似せて形づくられた無限に成熟して行く聖なる自画像を見つめながら、それを慕い、追い求め、身に着けて行くこの聖なるプロセスこそ、自画像をより積極的に愛することが出来るようになる王道です。

使徒パウロが、エフェソの信徒に対して、「古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るように」(エフェソ4:22~24)と言い、またコロサイの信徒に向かって、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着ける」(コロサイ3:9,10)べき事を語ったのは、まさにこの事なのでした。

今日世間でよくセルフ・イメージということが言われていますが、これらはまさに自画像を言ったものです。そして通常人々は、過去の自分や現在の自分、しかも自らの力で自己形成してきた自分の姿を見て誇ったり、恥じたりしているのですが、もはやお互いキリスト者はそのような考え方や見方をしないのです。なぜなら、もはや古い自分は死んで、今やキリストにあって新しい神の子として生まれ変わり、しかも無限に未来に向かって成長させられ、もったいなくもキリストに似る者として変えられ続けて行く聖なる自分を仰ぎ見るようになるからです。そして、信仰の導き手でありその完成者である主ご自身が、それを成し遂げて下さるからです(ヘブル12:2、イザヤ43:7参照)。お互いはこの驚くばかりの恵みとその約束を確信して、ただひたすらキリストを仰ぎ見てお従いし続けて行けばよいわけです。このキリストにある新しい自分こそ、神にある真のお互いの自画像であり、セルフ・イメージなのです。この自画像をどうして愛せないはずがありましょうか。ハレルヤ!

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。