自画像に悩む(3)

峯野龍弘牧師

Ⅰ,人は何ゆえ「自画像」を愛せないのか

さて、なぜお互いは「自画像」を愛せないのか、そのりゆうについて更に追求してみましょう。

2,他人の批判と世俗の価値評価

お互いが自分の「自画像」を愛せない理由の第二は、他人からの批判と世俗の価値評価を恐れるところにあります。

人間は、本来皆神のご計画に従って、生まれる以前より神によって知られ、とき満ちるに及んで、神は各人に尊い固有の使命をお与えになり、一人一人は最高にすばらしい掛け替えのない存在として、愛のうちに生まれさせて頂いたのです(エフェソ書1章4節~5節参照)。ですからこの地上にある人間で誰一人として、見劣りする人間は存在しないのです。神の想像されたもので何一つ悪いものはなく、不完全なものはありません。ちなみに天地の創造の初め神は、ご自身の想像されたものをご覧になり、すべて「良し」とされたと記されています(創世記1章参照)。とりわけ人間の創造に関しては、「極めて良かった」と記されています。それと同様に、本来人間は誰しも神の觀前にあっては、一人残らずすばらしい存在なのです。つまり各人は良い業をなすために髪によって創造された神の傑作品なのです(エフェソ書2章10節参照)。

それなのに罪深いこの世では互いに他者を批判し合い、いつしかお互いの作り出した虚構にすぎない世俗的価値基準に従って相互に品定め(人物評価)し、遂にお互いはこの誤った他人の批判や人物評価を恐れるものにしてしまったのです。その結果、他者の批判や評価を恐れて自分のありのままで尊い「自画像」を愛せなくなってしまったわけです。ああ、これまた何と悲しむべきことでしょう。

果たしてあなたは、自分の「自画像」を愛していますか?

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。