愛による全面受容と心の癒しへの道(127)

峯野龍弘牧師

<付記>

以上、随分長きに亘って「アガペーによる全面受容と心の癒しへの道」について記して来ましたが、既にこれをお読みになり、おそらく多くの方々が、いったいこのような「癒しへの道」を筆者である小僕以外に誰が唱え、誰がこのような言説を主張しているのだろうかと思われたに違いありません。それはまさしく当然と思います。なぜならこれまた既に折々記し、また語ってきましたように、私自身がどなたか特定の専門家や研究者の論説に教えられ、それに範(はん)をとって記したり、語ったりしたものでは全くなかったからです。もちろんそうした専門家や研究者、医者や学者の方々の書物や言説に多くを学び、教えられて来たことは言うまでもありません。また多くの宗教家や神学者の書物や言説からも学ばせて頂きました。そうしたことを基盤に据えて長年、いや生涯を通じて教会の一牧師として心と体と霊魂の全人的ケアーに当たる中で、試行錯誤や時には失敗をも繰り返しながら、これまた先にも述べましたように心傷つき悩む人々に寄り添い、共に苦闘しながら歩んでくる中で、祈りの内に示され、聖書に教えられ、実践してくる中で体験して来た、いわば霊的体験知の集積なのです。ですからそれは一つの仮説にすぎないと一笑に付されても仕方がないわけです。しかし、そうしたことを充分わきまえつつも、あえて恥も外聞もかなぐり捨てて、あざけ笑われ、袋叩きにあっても、この長い間自らも体験し、癒された多くの悩める人々の存在とその喜びを思う時、記し語らざるを得なかったのです。

その上、本書において終始くどいほどこだわりながら述べて来た「ウルトラ良い子論」並びに「アガペーによる全面受容の癒しとその王道と法則」は、ユニークな一見偏ったようにも思われる論説ですが、小僕はあえてこれこそ多くの人々によって見落とされてきた最も重要な奥義を物語るものとして、世に公にすることを決意したのでした。このような人間の本質の中に深く根差した、単なる精神医学的及び心理学的な「病的治療としての癒し」ではなく、人間性の本質に根ざした「真の人間性回復並びに人間関係復元の結果としての癒し」こそ、現代社会が最も求め必要としていた「癒しの道」であると、強く確信させられたからです。この事柄の真偽は、今後大いに専門家や研究者の方々の正しいご判断にお委ねすることにして、これに共感し、自らこの「癒しの王道と法則」に則って実践してみようと、心底思われる方々がおられるなら自己責任をもって、本気で実践してみて頂きたいのです。事実そうした方々によって、どれだけ多くの「癒される道なし」、「改善の余地なし」、「生涯変わることがない」と諦めていた人々とその家庭に、希望と慰めと癒し、そして何よりも喜びと幸せな人間関係と愛に満ち溢れた家庭生活が訪れて来たことでしょう。是非それを皆さんにも、確実に体験してほしいのです。

ましておやこれは単なる理想論を述べたものでは、絶対にありません。本気でこの道筋に従って歩まれ、実践された多くの方々並びにその家庭において体験された喜びの証しが、その現実性を立証し、裏付けてくれています。ですから実験済み、体験済みのお墨付きの論説なのです。この事を実践するために失うものは何一つありません。取り返すことの出来ない、引き返すこの出来ない損失は、皆無と言って良いでしょう。あえて失うものがあるとするならば、その考え方や、その生き方を引きずっていたならば、絶対に改善されない、癒されることはないであろうと言い切ることのできるような悪い考え方や生き方が、各人の内から取り去られること以外ではありません。これは損失ではなく、大なる祝福の獲得になります。ですから是非、この道筋に従って歩み出してみて下さい。希望を抱いて、勇気をもって実践してみてください。

最後にまたしても繰り返し申し上げたいと思います。この「アガペーによる全面受容と心の癒しの道」は、決して単なる方法論やテクニックを教示したノウハウ本ではないと言う事です。本書は、真の人間性の本質にお互いを立ち帰らせ、真の人間関係をそこに築き上げて行かせるための「深みの人間性修得」もしくは「真の人間性復元」の書です。ですから本書に従って「癒しの道」を歩み出した者は、何よりも先ず癒しの働きに従事するお互い自身の考え方、生き方、つまり人間性を真の人間の本質に従って復元しなければなりません。「医者よ、まず自らを癒せ」と言う言葉がありますが、本書に従って「心傷つき病んでいるウルトラ良い子」を癒そうと望むなら、まず癒す側の自らの人間性を癒し、修復しなければなりません。そしてその癒された真の人間性をもって癒しを必要としている相手のケアーに当たる時、その相手の内に癒しが促進されることを思うと、これはあくまでも単なる方法論やテクニックでは断じてなく、癒しに従事する者と癒しを必要としている者の双方の人間性そのものの変革に本質があるのだと言う事を、最後にもう一度力説して、稿を結びたいと思います。

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。