愛による全面受容と心の癒しへの道(118)

峯野龍弘牧師

第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」

Ⅳ、第3期 7歳から12歳までの児童期の教育

さてそこで第3期のいわゆる「児童期」と呼ばれるこの時期の「ウルトラ良い子」に対する育児法について概略述べてみましょう。この時期は、更に「前期児童期」と「中期児童期」、そして「後期児童期」とに区分することができます。

A、前期児童期

そこで先ず、前期児童期について言えば、おおよそ6歳から7、8歳ぐらいの子供たちで、この時期の子供たちは肉体的成長が著しく、同時に知的発達も目覚ましいものがあります。観察力が増し、思考力、注意力、記憶力などが飛躍的に発達し、意思力、自我意識も高まります。当然のことながらこの頃の子供たちの学校における学習は、彼らの日常生活における中心事となり、同時に彼らの学校における人間関係つまり友達関係は彼らにとっての主要関心事となります。
こうした中でこの時期の彼らは、校友関係を通じて集団意識が加速し、集団生活や遊びを大いに楽しむようになります。しかし、とはいえこのような今までになく目覚ましく肉体的にも知的にも成長発達しつつも、精神的情緒的にはまだまだ不十分で、何かと不安定な傾向があるのです。それだけにこの時期にはこのような傾向によく注意を払い、良き理解の共有と配慮が必要となります。

ちなみに、この頃ともなるとそろそろ多くの子供たちが塾通いをするようになりますが、この点に関しては「ウルトラ良い子」のためには不用意に塾通いを急がず、良い家庭教師を見いだし、ウルトラ良い子の感性に合う家庭学習を重視することをお勧めします。またこの時期ともなると親から手が離れたかのように錯覚し易いのですが、また子供の方も親以外の友達や外の物事に向かって興味関心が大きく移り始め、あたかも親離れしたかのように思われがちですが、そこには新たな多くの課題や問題にも直面し始めているのです。それだけに情緒不安定を加速させる危険をはらんでいます。その上、彼らも時間に追われ、かつ両親も忙しくしていて、共に語り合ったり、団らんしたりする共有時間が圧倒的に少なくなり、「ウルトラ良い子」たちが外で受けた様々な大小のストレスや不安を解消してあげる機会を失う危険があります。ですからこれらの点に充分注意を払いよきフォローを怠らないようにしてほしいものです。

特にこの時期に入ると彼らの身を置く環境も、また時間もほとんどが世俗的価値観丸出しの空間と時間の中なのです。「ウルトラ良い子」たちの純粋感性が常にこのような環境下で大いに世俗の価値観に晒されるわけですから、ストレスの溜まらないわけがありません。そこで日々、「アガペーによる全面受容」のある家庭でその心を憩わせ、ストレスを解消し、再び世俗的価値観の嵐にも耐えられる彼らとして学校やその他の社会に送り出してあげる必要があるわけです。そのためには何としても日々の生活の中でのほのぼのとした対話と情報共有する接点を持つことが不可欠です。これこそが彼らの不安やストレスを癒す最良の道であると共に、それ以上に世俗の価値観に傷つかないばかりか、それを遥かに超えて雄々しく生きて行くことの出来る豊かな品性と資質を築き上げて行く最良の道ともなるのです。どうかこの点についてよくよくご留意ください。

B、中期児童期

この時期は、概ね8,9歳頃ですが、この頃ともなると通常の子供たちは仲間同士で徒党を組んで行動したがります。親や教師、大人の命令や意見よりも仲間との約束を重視します。仲間外れになることを喜ばず、これが時には羽目を外した悪戯に発展したり、喧嘩になったりすることもあります。つまり集団意識に支配されやすくもあるのです。更には言うことを聞かず、羽目を外すような場面も起こります。ですから欧米では、この時期を「ギャング・エイジ」と呼んだりしました。

しかし、これはそれまでの親や教師たちへの一方的な依存関係から抜け出して、仲間同士の対等な関係の中で自発的に何かを考え、各自が自己責任や共同責任をもって自分たちの独自の新世界、新境地を切り拓いて行こうとする営みで、こうした中から相互信頼や各人の役割分担、各自の個性の発見などがなされ、大切な社会性を身に着けて行くことができるのです。それゆえこれまた重要な成長過程の一プロセスと言うことができます。

ところがこの時期は「ウルトラ良い子」たちにとっては、必ずしも容易な時期ではありません。なぜなら「ウルトラ良い子」の感性が、この流れに乗れず、その輪の中に入ることに大きな抵抗感を抱くことがあるからです。この場合も両親もしくは教師などの適切なケアーやフォローが必要となるのです。

もとより「ウルトラ良い子」が彼らの仲間に加わる場合、その感性や価値観や志向性において根本的・本質的に異なっていると言いてよいのですが、このような特性・相違性が意外と仲間に受け入れられ、この子たちの発想やアイディアの独創性が他の仲間たちの気付きや着目するところに優って興味深いものであったような場合などには、これがかえって高い評価を受けて重んじられ、「ウルトラ良い子」がその輪の中で重要な位置づけを持つようになることもあるのです。このような展開になるときは彼らはいわゆる大人を困らせる「ギャング的存在」とはならず、その反対に学校の中での「模範的存在」となるのです。しかもその立役者は「ウルトラ良い子」たちなのです。誠に幸いなケースと言えましょう。

ところがこの仲間に加われなかったり、いったんは加わったもの彼らについて行けないような場合が、しばしば起こるのです。このケースの方がいずれかと言えば比較的に多いのです。このような場合には決して慌てたり、心配したりする必要はありません。そのままを受け入れて、それを決して恥じたり、恐れたりする必要の全くないことを、より高い視点に立って裏付けてあげることが必要なのです。直接彼らの仲間に加われなくても、仲間外れにされたとか、いじめられるのではないかと恐れずに、いつものように、誰に対しても自分の心に思うことを、正直に謙虚に表明しながら、ひたすら一筋に前進することの大切さをコメントしてあげることにより、彼らの日々の歩みにエールを贈ってあげることが、極めてこの場面では重要なのです。

こうすることによって見事にこの時期を通過することができるでしょう。是非、このように心がけやって見てください。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。