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愛による全面受容と心の癒しへの道(87)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

Ⅵ. アガペーによる全面受容とその軌跡(自立への7ステップ・法則)(前回に続く)

■アガペーによる全面受容の軌跡と癒しへの7ステップ(法則)
<ステップ6> 自己変革への勇気ある挑戦の開始

さあ、長い間心傷つき病んで来たウルトラ良い子たちの生涯に、解放と癒しの山頂が見えてきました。「アガペーによる全面受容」と言う屈強にして超ベテランのシェルパ―が、常に密着して共にあり支えてくれるので、決して中途で滑落することなく、確実に山頂に辿り着けるのです。「冷静で客観的な自己の正しい位置付けの始動」がなされ、「謙虚な自己認識と自己受容の胎動」が始まった彼らは、ここで最後の力を振り絞るようにして、今までの彼らには決してあり得なかった「自己変革への勇気ある挑戦」を、自らの主体的な意思決断を持って試みるようになるのです。これは彼らの生涯にとって驚くばかりの出来事なのです。通常人、健常人にとっては、これは当たり前のことであり、取り立てて言う必要の全くない、ごく当然の行為に過ぎませんが、彼らにとっては、これはまさに奇蹟が起こったかの如く大きな出来事なのです。

とりわけ前述した「ゆとりの造成」が充分になされる時、次にはこのような「冷静で客観的な自己の正しい位置付け」を彼らがなし、謙虚な自己認識と自己受容が胎動するまでになるのです。ですからこのような日の到来を楽しみに待ちわびながら、しっかりと各スッテプを踏み外さず、“ステップby ステップ”登りつめて行こうではありませんか。決して焦ってはなりません。疑いを起こしてはなりません。これらのステップは、あたかも法則のようなものです。ですから必ず辿り着くことが出来るのです。遅くなることもありません。聖書の中にこんな良い言葉があります。

そもそも彼らが極度に病んでいた時には、こと更に何かを選択決断しなければならない事柄に直面すると、俄然その選択決断が出来なかったのです。のみならずその選択決断しなければならいことが直近に迫ってくると不安が高まり、緊張が増し、遂には激しいパニック状態に陥ってしまうのです。そのような場合、彼らはすっかり落ち着かなくなり、苛立ち、周囲の者に攻撃を加えるようになってしまいます。その際、不思議なことにこれまた健常人には全く理解しがたいほどの不当な要求を、自分を最も受容してくれる相手に対して発するのです。その要求はしばしば強烈なほどの自己主張となって相手を苦しめ、追い込んで行きます。これだけのエネルギーがあり、自己貫徹を図ろうとして相手に強烈な要求を突き付けて行く意思表示が出来るなら、その何分の一にも当たらないわずかな努力で、他者や物事に対する意思表示や選択決断が出来そうなものなのですが、悲しいかな彼らにはそれが出来ないのです。そこで彼らの内に生じた大きな不安や苛立ちを解消しようとして、全く訳のわからない不当な要求を、他人に対してではなく、多くの場合自らを愛し全面受容してくれるであろう母親や受容者に対して突き付けるのです。何故そのようにするのでしょうか?

第一は、彼らは本来他人からの評価や批判を極度に恐れているのです。とりわけ他人によって自己が低く評価されたり、否定されたりすることを極端にまで嫌うのです。ですから自分の選択したり決断したことが、本当に他者からみて高評価を受け、自己が賞賛されるかどうかを思う時、果たしてどう評価されるか皆目見当がつかず、自信や確信が持てないため、ひたすら思い悩むのです。

第二に、そこでこのような状態の中から自らの内に起こって来た大きな不安や焦りや緊張を解消するために、最も自らを理解し受容してくれるであろう最良の身内、つまり多くの場合母親やそれに次ぐ受容者に向かって、極端な八つ当たり行動をとるのです。この場合彼らの要求するところは、理屈に合わない不当な要求ばかりです。それもその筈です。もとより自ら答えを見出せず、そうかといって他者からその答えを引き出せず、どうすることも出来ない不安や苛立ち、そして極度のパニックを引き起こしてしまっている彼らなのですから、ただその時自らの心の内を駆け抜ける衝動と欲求を闇雲に相手にぶつける以外ではないのです。ですから当然のこと不当な要求とならざるを得ないのです。

第三に、少々うがった表現を許して頂けるのなら、このような彼らの行為は小さな子どもが親に駄々をこねるような最も安心かつ信頼している者への屈折した愛情表現であり、甘えであるのです。こうすることによって彼らはその自らに押し寄せてきている大きな不安や苛立ち、更には恐怖やパニック症状を懸命に癒そうと叫び求めている、いわば「緊急避難行為」なのです。

いかがでしょう。このような彼らの心を理解していただけるでしょうか。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復