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愛による全面受容と心の癒しへの道(83)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

Ⅵ. アガペーによる全面受容とその軌跡(自立への7ステップ・法則)(前回に続く)

■アガペーによる全面受容の軌跡と癒しへの7ステップ(法則)
<ステップ3> 深みの安息の実現

さてここでさらに次のステップに進みましょう。次は、「深みの安息の実現」と言うステップです。この「深みの安息の実現」は、心傷つき病んでいたウルトラ良い子たちの癒しの上で極めて重要なプロセスです。これは彼らが確実に癒されつつあることの顕著な証明であり、目印でもあります。前項で述べた「充足感の到来」を経験した彼らが、更に継続してこの充足感を味わい続けると、次にはそれが遂に彼らの心の深みに安息状態を生み出します。この心の安息状態は、長い間彼らをいらだたせ悩ませて来た、極度の不安感や焦燥感、イラ切れ症状やパニック症状から彼らを守り、心穏やかに人間関係を結び易くしてくれます。このことによって彼ら本人はもとより、周囲の家族や人々にも安息を齎(もたら)すことが出来るのです。それゆえ「アガペーによる全面受容」により、「心の満足感と充足感」を継続して与え続けることによって、遂に彼らの心に「深みの安息」を実現させて行くことが、如何に重要であり、素晴らしいことかがお分かり頂けると思います。

しかし、ここまでに至るためには、しっかりと積み上げられ持続した「アガペーによる全面受容」の長き日々が不可欠です。そこには当然ながら愛の忍耐と自己犠牲の甘受が必要です。決して一朝一夕でなるものだと安易に考えてはなりません。勿論、時としては以前にも申し上げましたように、「アガペーの全面受容」を始めてから、日ならずしてまさに奇蹟が起きたと思えるような速やかな癒しが齎されることもあります。これこそ「アガペーによる全面受容」効果の顕著な典型的事例と言えましょう。しかし、多くの場合はそうではありません。そこにはそれぞれのケースに応じた、それ相応の時間を要します。それは概して言うならば、その心傷つき病んでいる子どもたちの心傷つき病んで来た時間経過に比例し、心傷ついた症状の軽重に比例します。

さて、ここで一つの大きな障壁のようなものが癒しに携る両親やケアにあたる人々の前に立ちはだかり、大きな重荷が圧し掛かってきます。それは愛の忍耐と自己犠牲を甘受すると言うこの重要な一事を、如何に持続して実行し続けることが出来るか、と言う難題です。これは人間の並な我慢や努力では、到底乗り越えることが出来る問題ではありません。ではこの難問をどのようにして克服することが出来るのでしょうか。出来るのです。事実わたしの関わってきた多くの両親たちやケアにあたられる方々が、見事にそれに成功してこられたのです。果たしてどのようにしてそれを成し遂げられたのでしょうか。そこでここにその秘訣を、その方法をお教えしましょう。

①まず第一は、「“アガペーによる全面受容”を継続して行けば、必ず癒しに到達する」と言うことへの揺るがぬ「確信」です。この「確信」は、心に「希望」を齎(もたら)します。そしてその「希望」は、希望を抱くお互いの内に不思議な「平安」を与えてくれます。「きっと何とかなる。必ず報われる時が来る。決して失望に終わることはない」と言う思いが、湧き上がり「忍耐」する力を約束してくれるのです。そうです、この「確信」は、「希望」を、その希望は「平安」を、そしてこの「平安」が、持続する「忍耐」を可能にしてくれるのです。ですから「“アガペー”の向かうところ敵なし!」と確信して進んでください。

②第二は、「愛と祈り」です。どうか心傷つき病んでいる子どもを愛し続けて下さい。愛は決して見放さず、見捨てません。そこに愛が働く時、その愛はきっとこう祈るでしょう。「世界中のすべての人が見捨てても、わたしは決して見捨てません。どうか神様、病める子を癒して下さい」と。自分の知恵も力も、そして他者の知恵も力も一切が無力に思える時であっても、愛はあきらめず、遂に日頃無縁に思われていた、目に見えない偉大な御存在、つまり「神」の救いの御手にすがりつく思いで祈るのです。ここで小僕が、何か宗教の奨めをしていると思わないでください。祈りは、人間が単なる動物でないことの証明です。人間だけが万事が窮した時に祈ることが出来る崇高な存在なのです。これは「苦しい時の神頼み」などと軽蔑すべき何ものでもなく、これこそ人間の尊厳であり、真の人間証明(アイデンティティ)なのではないでしょうか。とりわけ「愛は祈る」のです。無神論者であろうと何であろうと関係がありません。そこに「愛」があるなら、愛する者が困難に直面し、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのを見て、思わず今まで信じたこともなく、見たこともない全能なる神に向かって祈るのです。何と尊く、美しいことでしょう。かくして愛が祈りとなる時、更に不思議と「アガペーによる全面受容」が持続しやすくなり、耐え忍ぶことが出来るのです。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復