愛による全面受容と心の癒しへの道(68)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道(前回に続く)

①子供への謙遜にして真摯な謝罪と告白 加害者告白

②子供の要求を無条件で全面的に受容することによる和解と真摯な受容の証明

③どこまでも受容し続けなければならい不断の受容

➃ 決して子供の行動を規制せず、積極的に支援する覚悟と決断

⑤ “生産的積極的肯定”こそ受容の後押し

⑥ 決して是々非々を言わず、正論をもって抑圧せず

⑦ 断じて他者と比較せず、他者を非難しない

⑧「同心・同歩・同行」先走らず、遅れず、寄り添いながら

⑨禁止、奨励、命令の言葉は禁物

⑩自尊心を傷つけない

更に注意しなければならないことは、彼らの自尊心を傷つけてはならないということです。結構健常な人々でさえ、彼らの自尊心を傷つけられたなら、憤りを覚えたり、悲しんだりするものですが、ましておやすでに自尊心を極度に傷つけられてきた心傷つき病んでしまっているウルトラ良い子に対して、誰かがその自尊心を傷つけるような言葉がけや態度を取ろうものなら、この子たちはその途端に憤り悲しむばかりではなく、突然パニック症状を惹き起こし、暴れ出したり、狂い叫んだりすることすらあります。時には、もはや誰にも制することが出きないほどまでに暴れ狂うようになり、極めて危険な様相を呈するので警察を呼び、更にはそのまま精神科の病院に緊急措置入院させなければならない事態にまでに発展してしまうこともあります。その傷つける相手が他人である場合はめったにありませんが、身内とりわけ母親であった場合には、こう言ったケースがかなり多くあります。

ではどうしてこのような症状を惹き起こしてしまうのでしょうか。それには概ね以下のような理由があります。

ⅰ、第一に、それは潜在意識下にある自尊心のを傷つけられることへの強度の恐怖心から来るのです。

彼らはすでに長い間に亘り、多くの抑圧を受け、また数々の自尊心を傷つけられた経験があり、そこでまたしてもここで、この人から自尊心を傷つけられるのではないかと常に戦々兢々としているのです。彼らの潜在意識下には、常にこの怯えが支配しています。これは実に深刻な問題であって、健常人にはおよそ想像することが出来ないほど悩ましいものなのです。何と彼らは憐れなのでしょう。どうかこの彼らの心理をよくよく汲み取り、理解して頂きたいのです。そして何としても心傷つき病んでいるこれらの子供たちや人々の自尊心を傷つけないでほしいのです。

ⅱ、第二には、同じく彼らの潜在意識下にある“自尊心”の喪失の結果としての自己の尊厳性と存在価値観の喪失及び極度の自己喪失にあります。

そもそも以前にも申し上げましたが“自尊心”とは「自らを尊しとする心」を意味しています。つまり「自己の尊厳」すなわち「自己の存在価値」を自らが知って、心安らかに、更には生き甲斐をもって生きることが出来る人間個々人にとって極めて尊い自己認識なのです。

ところがすでに長い間彼らはこの尊厳ある自己の存在価値と意義、更には人間に生き甲斐を与えてくれる生存の原動力とも言うべきこの“自尊心”を傷つけられ、更には抹殺されてしまうかと思われるほどに、「お前は何でダメなのか」とか「お前のような人間は死んだ方がましだ」とか、更には「出世できないならお前は人間のクズだ」とかと言うような、どぎつい言葉を浴びせかけられ、彼らの人格を否定され、叱責され続けてきた結果とそて、彼らはいつしか自らの尊厳、つまり存在価値や意義を喪失し、生きる目的も生き甲斐も見失い、ひたすら日々あたかも暗闇の中を歩くかのごとく暗中模索し、悶々とし日を送っているのです。その心は不安の中を彷徨い、未来に対しては何一つ希望も目標もつかみ得ず、ただ「どうしたら良いのだろう」、「どうなってしまうのだろう」と日々焦りながら生きているのです。他者からどのように良いアドバイスを受けても、彼自身の内にはそのアドバイス自体が、果たして良いものであるのかないのかを一向に判断できないほど、自己判断・自己決断が不可能なまでに自己喪失を惹き起こしてしまっているのです。

このような彼らにとってまたしてもこのように苦悩の中にいる彼らのことを理解せず、上から目線で正論をもって指示・命令・奨励・禁止・否定されようものなら、彼らの心と思いはたちまちにして混乱し、怯え、対応不能となってパニックを引き起こしてしまうのです。

お分かりいただけたでしょうか。この彼らの心理をよくよくご理解頂き自尊心を阻害しないようにして下さい。 (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。