「ケズィック・コンベンション150年の歴史」

いよいよ今週、第65回日本ケズィック・コンベンションが淀橋教会を会場に開催されます。英国で始まったこの霊的運動は、昨年150周年を迎えました。昨年の英国大会において、日本ケズィック大会でも奉仕してくださったジョン・リスブリッジャー先生が「ケズィックと英国教会」と題して、ケズィック150年の歴史が英国教会に与えた影響について講義しました。日本大会を理解し、展望するにもとても役立ちますのでご紹介します。リスブリッジャー先生は、ケズィックの歴史を次の四つの時代に分けています。

1.黎明期1875-1900年。聖書的ホーリネスと福音派の一致

ケズィック大会の始まりは、ケズィック村の一牧師の霊的飢え乾きからでした。Harford-Battersby牧師は、自身の霊的生活に深い不満足を覚え、欠けを満たしたいという強い思いに駆られました。Harford-Battersby牧師は、自身が牧会している聖ヨハネ教会の庭に天幕を張って集会を開いたところ、400人が集まりました。同じような飢え乾きを感じる人々が当時の英国に大勢いたのです。リスブリッジャー先生は、この飢え乾きがケズィックの原点であることを強調しました。そして、その集会で気づかされことは、義認のみが恵みによるのではなく、聖化もまた恵みによるということでした。

また初期からケズィック大会には、教団教派を問わず、福音主義に立つキリスト者たちが集まりました。彼らを一つにするのは、resting faith(神に信頼を置く、安息する信仰)、surrender(明け渡す)、consecration(聖別)などのキーワードで表現できるケズィックの霊性でした。これは、これからもケズィック大会の大切なスピリットとしてこれからも大切にするべきものです。

2.黄金期1900-1960年。世界宣教のための聖別

内なる霊性がケズィックのスピリットであるなら、その霊性は何の実を結んだのかとリスブリッジャー先生は問いかけます。外なる実を結ばない霊性は、内向きになり消滅してしまうからです。ケズィックの歴史は、世界宣教への情熱という形で豊かな実を結びました。意外にも最初は、ホーリネスの内面的集中の妨げになるとして世界宣教への関心は抵抗を受けたそうです。それを克服して、ケズィック大会はこの期に英国を越えて世界に大きな影響を与えるようになりました。

ケズィックで霊性が満たされた多くのキリスト者が宣教師として世界中に遣わされ、宣教地からケズィックに戻り、再び満たされ、また新しい献身者を募る好循環が出来ました。最も有名な例として、ハドソン・テーラーがケズィック大会中、ミッション・ナイトと呼ばれる集会でよく若者たちに宣教の使命を力強く吹き込んだそうです。またこの時期、ケズィック大会で作曲され、歌われた多くの讃美が英国教会に広まりました。

3.批判と論争1960年代。聖書講解への再集中

ケズィック大会に対してそれまでも批判がなかった訳ではありませんが、1960年代、福音主義教会の内側から台頭した批判は、大きな論争を呼び起こしました。

最初の危機は、カリスマ・聖霊派との関係です。ホーリネスを慕い求めるケズィック運動が聖霊派の道を敷いたと言っても過言ではありませんが、異言や神癒等のもっとラジカルな聖霊の実を求める運動がケズィック内にも現れるようになったとき、大きな混乱が起こりました。結果的にケズィックは、線を引き、否定的なスタンスを取りました。リスブリッジャー先生は、黎明期から重要な特徴であった一致が、ある面、損なわれてしまったのではないかと問います。

第二の危機は、ケズィックのホーリネスに関する教えに対して、福音主義の著名な神学者たちが異を唱えたことでした。J.I.パッカーがその代表格として、ケズィック霊性を消極性とペラギウス主義として辛辣に批判しました。パッカーは、一度もケズィック大会に参加したことはないそうです。それに反して、ジョン・ストットは、何度もケズィック講師として仕えながら、インサイダーとして必要な批判を展開しました。リスブリッジャー先生は、1965年のストットのバイブル・リーディングをピンポイントで特定しながら、バイブル・リーディングのゴールド・スタンダードとしながら、ここで展開された高度な聖書講解にケズィックへの批判が込められていることを説明します。

ローマ書を講解説教しながら、6章に至り、ストットは、キリストの中で死んだ自我は、罪の性質ではなく、キリスト者になる前の古い自我であると言います。キリストの死への一致は、私たちの聖化の保証ではなく、義認の保証である。つまり、キリスト者になってからも罪との戦いは続くことを意味しています。一瞬の神秘的体験によって罪の性質が消えるのではなく、日々の生活において、また社会全般において、その戦いを続けなければならないと言うのです。

この危機を乗り越えながら、ケズィック大会は、聖書講解に再集中するようになりました。しかし、聖霊派との決別は、一致を失うという負の面もあったとリスブリッジャー先生は評価しています。

4.成長のための新しいビジョン1970年代から現在まで

一種の中年の危機を乗り越えたケズィック大会は、再び成長しました。そして、年間を通しての運動とファミリー層に向けて方向転換して行きます。

それまで一週間の日程に1969年からファミリー層のための一週間を追加しました。そして、文化的保守主義から脱却し、コンテンポラリー・ワーシップにも力を入れるようになり、次世代への関心を深めるようになります。2001年には3週目を追加して現在の日程になりました。若い世代に手を伸ばし、社会の様々な領域に影響を与えるためのサポートを考えるようになりました。2000年代に入り、ケズィックは、夏のイベントに留まらず、年間を通してインパクトを与える運動へと成長するビジョンを確立して行きます。

非常に分かりやすく、示唆に富む講義でした。YouTubeでJohn Risbridger, “Keswick and the UK Church”と検索しますと視聴出来ます。歴史を知ると今週から始まる日本大会の恵みも増すと思います。毎年忠実に参加される方も、初めての方もぜひお楽しみに。

(これは、「日本ケズィック・コンベンション ニューズレター」No.79(2025年12月発行)に寄稿した原稿に若干加筆したものです。)

淀橋教会主管牧師 金 聖燮