「リワインド~献堂27周年記念礼拝説教(11月23日)」

リワインド(rewind)という単語を聞くと何を思い浮かべますか。もうテープを使うメディア媒体はほとんど使われなくなりましたが、昔はカセットテープを物理的に巻き戻して好きな曲の先頭に戻ったり、ビデオテープを巻き戻して見逃したシーンを再生したりしました。日本語では「巻き戻し」という言葉は死語になりつつありますが、英語ではもっと広い意味で「振り返り」や「再考」という意味で今でも使われる言葉です。必要に応じて「リワインド」という題で、講壇で語った説教を振り返りながら、伝えきれなかったことや拡張したい考えをこの場を借りて分かち合いたいと思います。

権力を追求するか、権限を追求するか。私自身、自分の動機を探る上でためになる問いだと思います。特に負の感情が起きるとき、自分を理解するときに役立ちます。ミーティング中に誰かの発言を聞いて気を悪くしたとき、なぜそういう気分になったか自分でも分からないときがあります。その人が上から目線のように聞こえたか。だとしたら私はその人と権力争いをしているのか。権力は政治家や大企業の中だけに起こるものではなく、夫婦関係のように親密な関係でも働くものです。では私が求めているのは、その人から認められて、ほめられることなのか。でもそれでは私の負の感情は、全ての人の上に立つまでなくならないはずです。そうなったとしてもずっと他人の目を意識しつづけ、それに縛られることでしょう。

それに反して、権限を求める人には、やりたいことがあります。部長になりたい、委員長になりたい、キャプテンになりたいだけではなく、そのような権限が与えられて、それから何をしたいかが明確な人です。そのために必要な立場に立ち、そして委ねられた権限を用いて、成し遂げたいと願う仕事をしたい。私たちが政治家や社会のリーダーたちに求めるのはこのような人物像です。しかし当たり前ですが、そのような人は自分がしたいことを明確に知っています。ただし、間違った確信を持ったリーダーほど危険な人はいません。常に自分の考えを問い直し、修正できる人でなければなりません。

イエス様は、人々に御言葉を教え、病人をいやすために安息日を忙しく過ごされました。その翌日、まだ暗いうちに寂しい所で一人の祈りの時間をもたれました。私は、この場面に権力ではなく権限を求める仕事人の姿を見ます。権力の誘惑は日々私たちを狙っています。興味深いことに新約聖書のギリシア語原文では、イエス様が祈られた「寂しい所」(マルコ1:35)は、イエス様が四十日間サタンから試みを受けた「荒れ野」(同1:12)と同じ単語です。祈りは、誘惑を受ける場であり、またその誘惑に打ち勝つ現場です。

毎朝の祈りを通して、私たちは無意識に陥ってしまうパワーゲームの誘惑に勝利する力と知恵をいただき、今日一日、主が私に求める働きを正しく知ります。また昨日までの過ちを悔い改め、今日は新しく始める勇気と希望を受けます。私たちの教会では、原則、毎朝の早天祈祷会を守っています。自分が祈れないときにも誰かが祈ってくれます。またコロナ禍の時からYouTube配信を始めました。毎朝、数十名がライブ視聴しています。身支度をしながら、通学・通勤をしながらラジオのように聴きながら、教会の祈りに参加することは、一日を勝利する秘訣だと思います。献堂27周年を迎えた私たちの会堂がもっと多くの人々の熱い祈りで満たされることを願います。

今日からアドベントの季節です。救い主のお生まれを待ち望みながら、その方の生き方を見習いましょう。イエス様は、私たちが受ける全ての誘惑を受け、その辛さと葛藤を理解され、その上で勝利する道を示してくださいました。イエス様をお迎えする最高の方法は、イエス様に従うことです。

淀橋教会主管牧師 金 聖燮