第5章 信仰と行い
信仰生活の羅針盤(6)

峯野龍弘主管牧師 第5章 信仰と行い キリスト者の間でよく「信仰か、行いか」と言う話題が交わされます。この場合によくよく注意しなければならないことは、「救いは信仰による」のであって、「行いによる」ものではないという「福音 […]

続きを読む
第4章 宣教と救霊愛
信仰生活の羅針盤(5)

峯野龍弘主管牧師 第4章 宣教と救霊愛 前章では、「地の塩、世の光」と言うことについて記しましたが、それは主イエス・キリストによってこの世に遣わされているキリスト者と教会の、果たさなければならない「尊い使命と責務」である […]

続きを読む
第3章 地の塩、世の光
信仰生活の羅針盤(4)

峯野龍弘主管牧師 第3章 地の塩、世の光 Ⅱ、「世の光」であるとは さて、次にキリスト者が、「世の光」であるとは、どういう意味なのでしょうか。主イエスは、先の「地の塩」に続いて弟子たちに、「あなたがたは世の光である」と言 […]

続きを読む
第3章 地の塩、世の光
信仰生活の羅針盤(3)

峯野龍弘主管牧師 第3章 地の塩、世の光 キリスト者は、「地の塩」。「世の光」です。何と言う光栄なことでしょう。主イエスが弟子たちに、こう言われました。「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である」(マタイ […]

続きを読む
第2章 傲慢と卑屈
信仰生活の羅針盤(2)

峯野龍弘主管牧師 第2章 傲慢と卑屈 神の恵みの中で心と霊魂の解放と自由を得ていない世の人々は、多くの場合、傲慢と卑屈、高慢と自己卑下の両極端の間を行き来する、振り子のような人生を余儀なくされています。しかし、たとえキリ […]

続きを読む
第1章
信仰生活の羅針盤(1)

峯野龍弘主管牧師 第1章 旧約聖書の箴言に、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(同19:21)とある。また「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」(同16:9)。更にまた、 […]

続きを読む
第5章-主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々
安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(25)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ⑤主イエス・キリストの十字架が、 […]

続きを読む
第5章-主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々
安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(24)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ④お互い人間はすべて神の御前に罪 […]

続きを読む
第5章-主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々
安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(23)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ③「聖霊なる神」の存在とその働き […]

続きを読む
第5章-主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々
安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(22)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) その理由は、以下の通りです。 第 […]

続きを読む