キリストの愛に満たされた生涯(11)

第2章 キリストの愛によってどのように生きるのか(前回に続く)

Ⅲ. 「アガペー共同体」を阻害する要因

そこで第四に、アガペー共同体を阻害する要因の究極の原因、それはお互いの内に巣くい、支配している「我執」です。つまり「自己に対する度過ぎた強い執着心」です。それは、「自分に対する悪しき拘(こだわ)り」です。これが他者との間の不和や摩擦、更には不一致、争いを生み出すことになり、「アガペー共同体」を阻害するのです。だからお互いは絶えずこの「我執」を警戒しなければならないのです。そしてこの「我執」は、しばしば次のような形を取って現れます。

第一には、誤った強い「自己主張」です。これが世間ではよく「あの人は我の強い人ね」などと指摘され、人々から敬遠される結果となるのです。「自己主張」そのものが悪いと言うのではありません。正しい自己主張は、極めて大切です。それはその人の正しい考え方を明白に他者に表明して、その正しさを他者と共有するための大切な役割であり、責任でもあるからです。

第二は、「自己中心」です。「自己中心」とは、何をするにも、何を考えるにしても常に「自己本位」で、他人のことは二の次にしてしまうことです。また自分に対する自惚れが強く、何でも自分の思い通りにしたがることです。このような人は、よく世間では、「あの人は、世界が自分を中心に回っているとでも思っているのだろうか」などと揶揄される人となります。

更に第三は、「自己絶対化」です。「我執」の強い人は、しばしばいろいろな場面で「自分には絶対に間違いはない」と頑なに我を通します。その上、他人の言うことには耳を貸さず、他者を信用せず、受け入れない「頑固さ」、これこそ「自己絶対化」の際たる姿です。

第四は、「自己堅持欲」です。これは他人より自分が常に上に立ちたがる願望を制せなかったり、人前で自分が注目されたがる性質を意味し、このような傾向はその人の内にある「自己堅持欲」から来たものなのです。まことに見苦しい醜態を演じます。

ともあれ、これらは皆、「我執」が派生する落とし子であり、「我執」こそ「アガペー共同体」を阻害し、かつ破壊する心中の恐るべき強敵です。そこで何としてもお互いは、この自己の内に内住する「我執」に勝利し、「我執」から解放されることが重要なのです。そして、この恐るべき強敵に勝利する唯一の道こそが、まさに「聖霊の満たしと聖め」の明白な霊的体験にあると言うことが出来ます。これについては、あらためて後に詳述しましょう。 (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。