安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(13)
峯野龍弘牧師
第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか
Ⅳ. 不合理な逆境をどこまでも甘受して生きる生活
主イエスの御生涯を学ぶ時、そこに見出すことの出来る顕著な生活は、それがご自身の身に及んで来た一切の不合理な出来事を、どこまでも甘受されて生き抜かれた生活ではなかったでしょうか。主イエスは神の御子であり、その御生涯のどの一点を取り出して観察しても、そこには何一つ過ちはなく、他人から非難されるような失敗もミスもないお方でした。もちろんそのことのゆえに悩み、苦しまなければならない汚点など皆無でした。にもかかわらずその行く先々で次々と多くの苦難に遭遇し、辱められ、攻め立てられ、迫害されました。それは単なる試練や苦難程度のものではなく、実に陰湿極まりない不合理なものばかりでした。そのすべては主イエスを真の神の御子であると信じなかった、主を妬み、退け、亡き者としよう企てた敵対者たちの陰謀によるものでした。それはどれを取ってみても、まさしく主イエスがお受けになられた不合理な逆境と言うほかありません。もちろん主イエスは、その都度何一つ「弁解」(言い分け)こそしませんでしたが、しかし明確な「弁明・弁証」(真実を明らかにすること)をしました。しかしながら、そうすればそうするほど自らが不利になることを知った相手は、以前にも増してエスカレートして、極めて悪辣(あくらつ)な手段をもって攻撃してくる以外の何ものでもありませんでした。それゆえ主エスは、更なる窮地・逆境に追い遣(や)られました。遂には、不当な裁判の結果、十字架の処刑台に磔けされる身となりました。何と言う「不合理」だったことでしょう。しかし、主イエスはこの不合理な逆境に終始甘んじられ、十字架の処刑台に釘付けられました。その理由は、ただ一つ、これこそがかかる罪深く愚かな人間を、その「罪と愚かさ」の中から救い出すための唯一の「贖罪」(贖い)の道であり、天の父なる神の人類救済のために定められた方法、つまり人類救済のための「神の奥義」であることを、知っておられたからでした。にもかかわらず、不信仰な敵対者たちは、主イエスの語られたこの彼らへの救済のための「神の奥義」(これこそまさに「福音」)を、何度も直接耳にしても、一向に聞く耳を持たず、かえっていきり立って迫害するばかりでした。何と言う「不信仰と罪」の齎(もたら)す恐るべき幻惑でしょうか。
かくして主イエスは、敵対者のかかる不理解も、のみならず彼らのしでかした諸々の悪しき仕打ち―中傷非難・侮辱・冒瀆・虐待・迫害・殉教等―も、更には遂に弟子たちの裏切りまでもすべて甘受され、この不合理な苦難に満ち溢れた逆境の御生涯を担われたのでした。
おお、これまたお互いが倣うべき主イエスのお姿なのです。神の御子であり、どこまでも正しく、聖いお方であられた主ご自身が、かくまで苦難に満ち溢れた不合理な逆境の生涯に甘んじられたことを思う時、もとより様々な罪過ち、失敗を重ねて来た罪人であったお互いが、今ではその罪を赦され、義とされ、神の子と呼ばれる恵みに与っていようとも、他人からの不当・不合理な非難を浴びた時、直ちに「弁解」ではなく、真実を「弁明・弁証」することは大切ですが、だからと言って相手がなおも理解せず、非難を繰り返す時、いたずらに悲しんだり、相手の非を憤ったり、ましておや相手に交戦したりしないようにしようではありませんか。そんな時には主イエスを思い起こして、すべての真実を知り、万事を最善にご解決下さる全能の父なる神の御心にすべてを委ねて、甘んじてその不合理な中傷非難を受け流し、逆境・試練を耐え忍んで行こうではありませんか。打たれ強く、勇気をもって、心静かに、進んで行こうではありませんか。主イエスと共に、主に倣って、どこまでも、いつまでも!(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。