安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(12)

峯野龍弘牧師

第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか

Ⅲ. 主イエスの謙遜と従順に倣う生活

では次に、神に対して常に「従順」であることの大切さについて、主イエスに学んでみることに致しましょう。

もとより「従順」であることは、旧約聖書の全歴史を通じても、そして新約聖書の時代はもとよりのこと、今日に至るまで神を主と仰ぎ、信じて生きる信仰者お互いにとって、不可欠の信仰の要件です。「従順」なきところには、決して「真の信仰」は存在しません。そもそも神への「不従順」は、神に対する「信仰者の犯す罪」であり、それ以上に「神への冒涜」です。神を全く知らない人々の犯す神への背きは、「不信仰・無信仰の罪」ではあっても、所詮彼らはかつての未信者時代のお互い同様に、「神を知らずして犯した罪」であるので、弁解こそ赦されはしませんが、信じられるようになった時、心からその不信仰の罪を悔い改めることによって、主の大きな憐れみと恵みに与ることが出来ます。しかし、既に神を信じているお互い信仰者の「不従順の背き」は、未信者の背き以上に質(たち)が悪く、「知りつつ犯す罪」であって、神の御心を大きく悲しませます。それは神の御存在を知りつつ、しかもその御声を耳元に聞きつつ、あえてそれを退け拒む罪であることから、信仰者の犯す不従順は、まさに神を馬鹿にした「冒涜の罪」と等しいわけです。これは厳しい言い方ではありますが、お互いキリスト者はこの点について、しっかりと心に留めておく必要があります。この点に対するお互いの認識が極めて甘いため、キリスト者の神に対する「不従順」が安易に罷(まか)り通ってしまうのです。

しかし、愛と憐れみに富み給う神は、このような「不従順」なお互いをもなお愛し、ひとたび十字架の尊い血潮によって贖ったお互いを惜しみ、絶大な御愛と忍耐をもって、いち早くお互いがその不従順に気付き、悔い改めてご自身に立ち帰り、従うことを待っていて下さるのです。この主の深い御心を思う時、お互いは何としても常に「神に従順な者」でありたいものです。

ちなみに旧約の昔、信仰の父と呼ばれたアブラハムは、この「神への従順」において徹底的に神より厳しい訓練を受け、見事にこれに合格した人物でした。彼は99歳の時、彼がまだ「アブラム」と呼ばれていた頃、主は彼に「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」(創17:1)と言われました。これはまさしく神への「全き従順」に対する主のご要請でした。そこでアブラハムに訪れたこの神への「全き従順」の要請は、極めて厳しい訓練を伴う学課でした。それは神から授かった最愛の一人息子イサクを、「祭壇上の生け贄」として神に献げよと言う、まさにむごたらしい「不合理な命令」でした(創22:1~2)。果たしてこの極めて厳しい神の命令に対して、アブラハムは如何に応えたでしょうか。ご存知のように彼は、一言の不平も、反論も、また泣き言も言わず、まさに「全き従順」をもって応えたのでした。その時、主は彼のこの「全き従順」をご覧になり、極めてご満足なさり彼にこう言われたのでした。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(創22:12)と。ここでアブラハムは、見事にこの神の厳しいご要請、「全き従順」の訓練と聖なる学課に合格したのでした。そしてアブラハムは、まさにイスラエルの「信仰の父」となり、地上の諸国万民の「祝福の源」となったのでした(同22:16~18)。

ここでお互いは何よりも、主イエスご自身に目と心を注いで見ましょう。アブラハムは、息子イサクを「生け贄の祭壇」に献げましたが、主イエスは何とご自身の身体と命を十字架と言う「生け贄の祭壇」に、献げられました。これは言うまでもなく、お互い罪人を救うために、父なる神がご計画された贖いの御業を成就するための「贖罪の御業」でした。主イエスは、この贖いの業を成し遂げるために、この極限的な苦悩と死の十字架を担う御父のみ旨に、従順に従われたのでした。そこで使徒パウロは、フィリピ書においてこう記しました。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6~8)と。

また最も顕著な主イエスの「謙遜」の教えとその最高の良き模範を、お互いは「最後の晩餐」の時の主ご自身のお姿の中に、見出すことが出来ます。主はこの最も重要な「最後の晩餐」の折に、弟子たちを身許に集めて、主自らが「僕の姿」を取って弟子たちの汚れた足を洗われました。そして言われたのです。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。・・・主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネ13:12,14~15)と。

主イエスは、何故人間の姿を取られ、この地上に来られたかをよくご存じでした。主イエスは、従順な神の御子として、終始、御父の御心に従われました。「ゲツセマネの園」において、十字架の死を目前に控えつつ、額から血のような汗を滴らせながら祈られた時、主はひたすら「父よ、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42~44)と祈られました。これこそ「死に至るまで従順」であられた御子イエスの御父の御心への「全き従順」の告白でした。思えば主イエスがその御生涯において、しばしば一人静かなところに退かれて祈られたのも、常に御父のみ旨を伺い、それにどこまでも従順に従うためであったに違いありません。

「最後の晩餐」の折、主は弟子たちに「わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。」(ヨハネ14:10)とか、「わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである」(同14:31)と語られましたが、これらの言葉は皆、御子イエスの御父に対する「従順」を物語っている言葉でした。当然のことではありますが、御子主イエスの中にこそ、唯一最高の「神への従順」の「完全な模範」を見ることが出来ます。どんなにか父なる御神は、この御子の「全き従順」をご覧になり、ご満足なさったことでしょう。ですから神への「全き従順」こそ、「真の神の子」らしさ、そして「真の信仰者」の証明と言えるのではないでしょうか!ですからお互いも「従順の学課」を修め、この「学科」を立派に卒業したいものです!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。