安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(8)
峯野龍弘牧師
第4章 主と共に歩む生涯をどのように築き上げて行くべきか
それでは心安らかに実り豊かな人生を過ごして行くために、「主と共に歩む生涯」をどのように築き上げて行ったらよいのでしょうか。それは言うまでもなく「主イエスに倣って」歩んで行く以外ではありません。
その昔、トマス・ア・ケンピスと言う人が「キリストに倣いて」と言う書物を著し、世界中の多くの人々に大きな感動と良き感化を齎(もたら)しましたが、この書物から聖なる生涯への大きな刺激を受けた人物の一人に、ジョン・ウェスレーがいました。また著名な説教者であり著述家であったアンドリュー・マーレーは、「キリストのように」とか「キリストと共に」、「キリストにとどまれ」など多数の名著を世に遺し、主イエスに倣って、主のような心と生活をキリスト者の人生の目標として生きるべきことを、人々に教え続けました。「キリストに倣って、キリストの如くに生きる」、これこそがキリスト者の地上生涯の究極の実践的目標だからでした。
ちなみに使徒パウロもこのことを常に深く心に留めてその生涯を歩みました。それゆえ彼は自らが絶えず「キリストに倣う者」であるよう心掛け続けていたように、すべてのキリスト者にもそうであるように力説しました。しかも、この時彼は極めて大胆な勧めをいたしました。すなわち「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」(Ⅰコリント11:1)と。ここでの前半の言葉である「わたしがキリストに倣う者であるように」までは、当然そのまま受け入れるに足る言葉ですが、その後半の「わたしに倣う者となりなさい」と言う言葉は、そのままストレートに飲み込むためには、少々飲み干し難い言葉ではないでしょうか。なぜならそれは一見、自分をキリストと同格視しているかのような傲慢な言葉に聞こえるからです。しかし、決してそうではありません。これは彼が心底から真剣に常に「キリストに倣って」生きることを切願し、自らひたすら全存在をかけてそのように歩むことに努めていたので、まだ信仰が未熟なために、しかも直接この地上でキリストに出会ったこのないコリントの信徒たちが、果たしてどのようにキリストに倣って歩めば良いのか見当もつかないであろうことを察して、彼は自分自身がキリストに倣って歩んでいるのであるから、その自分に倣って歩んでくれるなら、彼らも間違いなくキリストに倣って生きることが出来るのだと、大胆に責任をもって奨励したのでした。ですからここにこそ使徒パウロのキリストの聖名にかけて生きる一筋の真剣な生き様を読み取ることが出来ます。人に勧めておきながら自分自身はそうしてはいないと言う無責任な生き方ではなく、自らが先ず真剣にそれと取り組み、人々の模範とならなければならないと言う、使徒パウロの真摯かつ熱烈な思いがここに読み取れます。そこには無責任な、しかも偽善的な発言や生き方は、まさに皆無であったのです。何と言う明解な使徒パウロの感動的生き様ではないでしょうか。よろず主から召し出された世の指導者であるべきお互いは、大いに彼から学ぶ必要があります。
そこで「主と共に歩む生涯」とは、まぎれもなく「キリストに倣って歩み、生きる生涯」以外ではないことを思う時、かの日主イエスが「最後の晩餐」の際に、その冒頭で行われた「洗足」の場面で言われた次の言葉が思い出されます。主はその時、最後の晩餐のテーブルに着いた弟子たちに、厳かにこう言われました。すなわち、「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネ13:14~15)と。
そうです。つまり「キリストに倣って歩み、生きる生涯」とは、結局、具体的には「主の模範に倣う生涯」と言うことになるわけです。ですから「主と共に、主イエスに倣って」歩み、生きるためには、お互いは常に日常生活の中で「主の模範」に目と心を注ぎ、それに見倣い、従って歩まなければと言うわけなのです。
さあ、そこで以下において順次、主の御足の跡を辿りながら、主の模範に注視しながら、お互いの生涯が「主に似る者となる」よう、祈り励んで行こうではありませんか。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。