愛による全面受容と心の癒しへの道(122)
峯野龍弘牧師
第8章 「アガペーによる全面受容」を実現するための愛の学習塾
Ⅰ、「アガペーによる全面受容」を実現するための“愛の学習塾”(前回の続き)
③、第三は、確認と確信です。
この月例の学習塾でお互いが共に学び続けることにより、月毎に自らの「アガペーによる全面受容」が本道から逸れたり、独りよがりになってしまってはいないか、子供の心を安息させる受容とコミュニケーションがよく出来ているかなどを確認することが出来ます。とかく自分は良き全面受容をもってアガペーしているつもりでも、いつしか惰性に陥ってしまっていたり、自負心だけが独り歩きしていて、相手には一向に受容されたという思いも安息も与えていないことがあります。その言葉遣いや、態度にはいつしか愛がこもらず、上から目線で語り対応していたり、ときにはまたしても威圧的であったり、抑圧を与えていたりすることもあるのです。しかし、このアガペーの学習塾で常に謙虚になって自己点検し確認し合うことにより、常に初心に立ち返り、初々しい心でアガペー道を歩むことが出来、アガペーの行く先には必ず目に見えない天の助けが注がれ、愛の労苦は報われ、癒しが促進されることを確信できるようになります。それはこの学習塾で自分よりも先に歩んでこられた多くの先輩たちの失敗談や成功談を聞くことにより、アガペーの本道を歩んだ者は、皆等しくその祝福に与ることが出来るのだという確信を掴み取ることが出来るからです。つまり「確認し、ひたすらアガペーによる全面受容の正道を突き進むところには、必ず勝利と祝福が待っている」と言う確信を持つに至るのです。
④、第四に、そこには希望と忍耐が生まれます。
これは必然と言えましょう。なぜなら確信は、疑いや迷いの霧や黒雲を打ち払い、安息と希望の光を仰ぎ見させてくれるからです。人間の心は正直で素晴らしいものです。物事に確信を持つことが出来ると、その途端にその心は安息し、更にその行く先に希望を抱くことが出来るようになります。そしてこの希望の光を仰ぎ見て前に進み、上に登り始めると、そこにある様々な困難や苦しみをより耐え忍び易くしてくれるのです。それはあたかも闇夜の荒海で遭難した船人が、疲れ果て今にも溺れそうになった時、真っ暗な闇夜の中で前方に陸地の光を見つけたようなものです。彼はその瞬間、「陸地だ、光だ。俺は助かるのだ!」と強い確信と希望を抱くことが出来るのです。その時、弱り果て、力尽きるかに思えた彼の内に再び力が湧き上がり、この確信と希望のゆえに彼は襲い来る荒波に打ち勝ち、遂に生還するのに似ています。この荒波を克服させた彼の忍耐と耐久力はどこから来たのでしょうか。言うまでもなくそれは「陸地は近い、光だ。俺は助かるのだ」と言う強い確信と、その確信がもたらした希望の故でした。そうです、まさに希望は忍耐を生み出し、その忍耐が人生に勝利をもたらすのです。ですからこのアガペーの学習塾は、お互いに希望と忍耐を育成してくれる最良の道場とも言えるでしょう。
⑤、そして第五は、現状把握と適切な対応です。
お互いはただ一人で孤軍奮闘しているだけでは、如何に一生懸命アガペーによる全面受容に励んでいても、なかなか自分の受容が果たしてどこまで届いているのか、成功しているのか把握しにくいものです。ところがこの月例の学習塾で月毎に現状報告をし、講師から、あるいは先輩や仲間たちからアドバイスを受けることにより、良きにつけ悪しきにつけ正しい現状認識と把握が出来るのです。そこで先にも述べたように反省と改善が適切になされ、また確認と確信が与えられ、希望と忍耐をもって歩んで行くことが出来るわけです。ここで適切な時宜(じぎ:ちょうどよいときのこと)を得た対応が可能になるのです。これは何と喜ばしい積極的、生産的な営みでしょうか。かくしてよどみないアガペーによる全面受容の促進が、各自の内にはかられて行くのです。
ですからこれらが概ねのアガペー学習塾の存在意義と目的と言えましょう。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。