愛による全面受容と心の癒しへの道(98)
峯野龍弘牧師
第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」
さて、以上において心傷つき病める「ウルトラ良い子」の癒しの道を、詳細に学んできましたが、この一連の学びを結ぶにあたって、このような「ウルトラ良い子」たちを傷つけたり、病んだりさせずに健全に育て上げるためには、果たしてどうしたら良いのかと言う、言うなれば「ウルトラ良い子のための積極的育児法」について最後に言及して、本書を結びたいと思います。
ここで是非くれぐれも勘違いや混同したりして頂きたくない大切なことがあります。それは本書において今まで述べてきたことは、あくまでもすでに心傷つき病んでしまっていた「ウルトラ良い子の癒し」についてであって、決して生まれたばかりの「ウルトラ良い子」や、またはいまだ心傷つきも病んでもしていない健康状態の「ウルトラ良い子」についての「育児法」についてではなかったと言うことです。この両者を勘違いしたり混同したりすると大変なことになってしまいます。この点についてわかりやすく一言すれば、今まで述べて来たような心傷つき病んでしまった「ウルトラ良い子」のための癒しの手法を、生まれたばかりやまだ傷つきも病みもしていない「ウルトラ良い子」に「100%同じように」適用するとしたら、逆に「ウルトラ良い子」を過保護と甘やかしによる未成熟な人間に育て上げてしまうと言う過ちを侵すことになってしまうからです。ここで敢えて「100%同じように」と表現したことには、極めて重要な意味が込められています。その意味は、子育ての基本となる「アガペーによる全面受容」と言う根本原理は変わりませんが、その適用においては明白(めいはく)に異なった適用方法を導入しなければならないからです。その違いを充分に弁(わきま)えてその育児に当たることこそ極めて重要なこととなるのです。それは決して単なる「使い分け」や、ましておや「矛盾」なのではないのです。本質においては常に「アガペー」を基盤に据えた堅固な育児法なのですが、その成長途上で成長過程に即応した健全にしてかつ適正な積極的人格教育を加味しながら、その成長を促進して行かなければならないのです。そこで以下においてその育児法について若干詳細に解説することに致しましょう。
Ⅰ、母の胎内にいる時の育児法
母の胎内に宿っている時の子供は、果たして「ウルトラ良い子」なのかどうか、当然ながら判別できません。しかし、このことで何一つ困ることはありません。人間は誰一人として例外なく母の胎内に宿っている時も、生まれ出た時も純粋無垢な存在であって、すべて全面受容され愛されるべき存在として人間の創造主によって尊い生命を与えられ、呱呱(ここ)の声を上げ、それぞれ固有の尊い使命を付与(ふよ)され誕生してきているのです。これらの一人一人の子供たちは誰も等しく、両親やその他の人々の愛の全面受容をもって育まれなければなりません。しかもその中のある子供たちは紛れもなく「ウルトラ良い子」であり得るので、その判別がつかなくても生まれ出るすべての子供に対して、愛の全面受容を施しておけば、絶対に過つことはないわけです。つまり両者にとって“益あって害なし”と言えましょう。しかし、もしそうしておかなかったとしたら、まさしく大変なことになってしまいます。「ウルトラ良い子」たちの多くが徐々に傷つけられて行ってしまうことになるかもしれないからです。ですから「愛の全面受容」の手法をもって育児にあたっておけば極めて安全なのです。
そこで母の胎内に宿っている胎児に対する育児法と言うことになるわけですが、先ず初めに母親は、自らの胎児に対してその子が肉体的に健康で、かつ何よりも精神的に心安らかな子供として誕生してきてくれるように、愛と祈り、大きな喜びと期待をもって子育てに当たらなければなりません。勿論、母の体内に宿った小さな胎児は、当初は脳の発達も精神的な営みも何一つ進んではいないのですが、あたかもそのすべてが完備しているかのようにその子に優しく語り掛け、「あなたはわたしの大切な赤ちゃん、神様からお預かりした尊い子供、お母さんはあなたを命がけで愛して育てます」と言ってあげて下さい。そしてこの言葉がけを誕生して来るまでに何度も何度も語りかけてあげてほしいのです。こうすることによって生まれて来る胎児は、徐々に徐々に母親の胎内にいる時から「自分は愛されている者、尊い存在」であることを、脳の発達と共に体感をもって学習し、記憶して行くのです。これが「アガペーによる全面受容」の源となるのです。胎内の赤ちゃんは何も知らないだろうなどと勘違いしないでください。ちゃんと「胎内の赤ちゃんは知っている」のです。
子育ては生まれてから始まるものでは断じてありません。よく世間で「胎教」と言う言葉が使われますが、これこそ「胎教中の胎教」と言って過言ではありません。そこで子供に対する健全な発育と育成のために不可欠な「アガペーによる全面受容」も、この胎教の時期から始めなければならないのです。決して手遅れしてはなりません。お分かりいただけるでしょうか。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。