愛による全面受容と心の癒しへの道(100)
峯野龍弘牧師
第7章 「ウルトラ良い子」を健全に育てるための「アガペー育児法」
Ⅱ、第1期 0歳から満3歳までの育児教育(前回からの続き)
④、さてここで更に重要なことがあります。次の要点こそ、生まれて来てまだ間もない傷つき病んだことのない健康な「ウルトラ良い子」に施すべき重要な積極的育児法の秘儀と言っても良いでしょう。それは何だと思いますか。このことについて、過つことなく注意深く心に留めて頂きたいのです。
それは「ウルトラ良い子」の特質と感性にしっかりと密着しながら、それに即しつつ、絶対に世俗的価値観に基づいてではなく、あくまでも物事の本質に根ざし、相対的比較からではなく、永遠不変の絶対的な価値観に従って導き出された真理については、親自らが先ずその道を歩み、範を示しつつ、裁いたり、抑圧したりするのではなく、あくまでも「アガペー」をもって、明解に教え諭すのです。「ウルトラ良い子」たちは、世俗の価値観に基づいた他人との相対的比較や絶対的な価値観になじまない非本質的な要請には拒絶感を抱きますが、そうではないこのような本質的・絶対的真理に根ざした価値観に立脚した両親たちの真摯な要請には、尊敬と信頼、畏敬の念をもって服する用意があるのです。ですからこの点に関しては、はっきりとメリハリのある明解な説明を必ず付した上で、しっかりと教え諭すのです。決して恐れたり、手控えたりしてはならないのです。また妥協する必要もありません。むしろ明解であればあるほど彼らの心を動かすのです。なぜなら、彼らはもとよりそのようなことに深い感動さえ覚えるほどの、生まれながらの鋭敏にして純粋な感性の持ち主であるからです。ですから、時にはそれに服さないならば断固として譲らないと言った雄々しい態度で臨むことがあっても、差支えがありません。こうすることによって、彼らの内に、人間が正しく生きて行くために何が真に重要であるかを真剣に考え、受け止めて行くための自己訓練・自己鍛錬が培われるからです。また、真に是々非々を見極めていくことの出来る選択眼や識別力が養われるからです。これは何と大切なことでしょう。この大事な一点を欠如するなら、「アガペーによる全面受容」は、自己抑制なき己を誇る鼻持ちならない我が儘な「我執人間」を造成してしまうことにもなり兼ねません。それではまさに「甘やかし」となり、「放任主義」に脱してしまうことにもなり兼ねません。いわばそれは紙一重です。ですから、心傷つき病んではいない「ウルトラ良い子」には、このような積極的な育児法が必須なのです。しかし、くどいようですがここでもう一度申し上げたいと思います。それは、あくまでも心傷つき病んでいない「ウルトラ良い子」に関してであって、一旦心傷つき病んでしまった「ウルトラ良い子」に、仮にそれが大分癒されたからといっても絶対にこの手法を用いてはなりません。そんなことをしようものなら、たちどころにその子は再び病んでしまい、のみならず裏切られたような思いを抱き、以前より更に悪い状態に舞い戻ってしまうことすらあり得るのです。これをはき違えたり、混同したりしては断じてならないのです。ですから、これを「健全なウルトラ良い子のための積極的育児法の秘儀」と呼んだのです。お分かり頂けたでしょうか。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。