愛による全面受容と心の癒しへの道(96)
峯野龍弘牧師
第6章 アガペーによるフォローアップ ―神の嘉される8原則―
Ⅶ、見返りを期待せず、恩に着せるな。
さて、第七番目のフォローアップの原則は何でしょう。それは「決して見返りを期待せず、また決して恩に着せてはならない」と言うことです。このことは「アガペー」の定義の最後にある締めくくりの主要件の一つにもなっています。
心傷つき病んでしまったウルトラ良い子たちを癒す確実な道としての「アガぺーによる全面受容の癒し」のもう一つの要件は、まさにこの「決して見返りを期待しない」ことにありました。
そもそもウルトラ良い子たちは、見返りを期待されたり、恩に着せられたりすることが大嫌いです。健常な人でさえ見返りを期待されたり、恩に着せられたりすることは、決して快くは思わないことでしょう。そこには自分に親切をしてくれたり、愛を注いでくれていると思わせながら、その実その心の奥に本人自身の利益や喜びを計算しての下心があったからです。それのみならずその上に恩まで着せられたりするとしたなら、どんなにか不愉快なことでしょう。ましておやウルトラ良い子たちは、純粋で真実な愛の中に受容され、憩いたいと何よりも切願していた者たちなのですから、しかも彼らは鋭敏に人の心の動きを察知したり、人の真の思いを知りたがったりする存在なので、そこに見返りを期待したり、恩に着せる思いが抱かれたりしていようものなら、たちどころに見破られ、折角愛による全面受容によって、かなりの癒しが促進されて来ていたところなのに、またしても再び彼らを傷つけ逆向させてしまう結果となります。これは何とも残念なことで、是非とも避けたい不幸な出来事なのです。
ちなみにウルトラ良い子たちは、自らが癒され健常になった暁には、何一つ見返りを期待しなかったにもかかわらず、見返り以上に遥かに優った素晴らしい感謝と喜びを込めた親孝行をなし、他者貢献をしてくれるものです。恩など全く着せはしなかったにも関わらず、その恩を深くその心に受け止めて、恩返しの生涯を歩んでくれるに至ります。これこそ「無欲の勝利」と言うものではないでしょうか。それなのに「見返りを期待したり、恩を着せたりする」ことによって、これらの大きな祝福をすっかり喪失してしまうことになるとは、何ともったいない話でしょう。それゆえ断じてこの轍を踏んではいけません。しかし、悲しいかな多くの人々がこの過ちを犯し、この点で失敗しているのです。はなはだ残念でなりません。ですからこの点においてもよくよく注意しようではありませんか。
「アガペー」の定義の主要件の最後の一つがこの「見返りを期待しないこと」であることについて、この項の冒頭で一言しましたが、それはこの最後の一要件を欠如する時、それ以外の諸要件をすべて満たしてきっとしても、この一点の欠如によってそれまでやっとのことで積み上げて来た愛の石積みが、一挙に崩れ去り「アガペー」が崩壊してしまうことを意味しています。それ以上に今まで多くの愛と忍耐を持って、しかも自己犠牲をさえ甘受して献身的に仕えて来た「アガペー」の営みが、結局は皆見返りを期待する恩着せがましい偽りの愛に過ぎなかったことを自己暴露するような結果に陥ってしまいます。それは何と空しく、悲しい結末でしょうか。こんな残念なことはありません。 ですからくどいようではありますが、決して最後まで見返りを期待したり、ましておや恩に着せるようなことをしたりしてはならないのです。そのようにしてどこまでも「アガペー」一筋にフォローし続けて行くところに、心傷つき病んでしまったウルトラ良い子たちの癒しが完成するのです。その時、お互いの受容者の長い間の祈りが成就し、それまでの一切の愛の労苦が天地万物の創造者である神の御心に適い、必ず報われるのです。これこそ見返りに優る見返りであり、何一つ恩返しなどは全く期待しなかったにもかかわらず、神がその無欲な献げきった美しい混じりけのない心と献身的な労苦を嘉されて、必ず報いて下さる恩返しに遥かに優る神の祝福(恵み)と言うものです。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。