愛による全面受容と心の癒しへの道(76)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道

⑭大きなリスクの甘受と大きな自己犠牲こそ受容の王道(前回に続く)

そこでM氏夫妻はF子さんを全面受容し、以前のようにF子さんのいかなる言動に対しても、戒め、諭し、時には裁き、懲らしめるようなことは一切せず、ひたすら「アガペー」することに努めました。そこにはどんなにか大きなリスクを背負い、また自己犠牲を甘受しなければならないことが多々あったことでしょう。しかし、こうすることによって意外なことに、徐々に家に戻ってくることが多くなり、しかも少しずつ親子間の会話が回復し始め、緊迫感や緊張感が和らいで行きました。

そんなある日、突然、家に戻ってきたF子さんが妊娠していることを告げました。しかも同棲していた相手の青年は無責任にも妊娠したことを知って「そんな子どもは俺の子どもではない。お前が誰か別の男と関係をもって妊娠したんだろ!とっとと出て行け!」と怒鳴りつけられたというのです。F子さんは逆上し激しい喧嘩となったのでしたが、結局のところ行き場がなく、帰宅したのでした。

F子さんは、当然ながら今までの過去の両親の考え方からすれば、「馬鹿者!何たる始末だ。恥さらし!お前が勝手なことをしでかして来たから、こういう羽目になるのだ!」と言われるに違いないことを覚悟していました。ところがそうではなったのです。「F子、良く戻って来てくれたね。お腹の赤ちゃんを大事にしなさい。お父さんたちが、彼ともう一度掛け合ってみよう。正式に結婚できるものなら一日も早く入籍し、やがて生まれてくる子を立派に育てて行くように…。もしそれでも駄目なら、その時はお父さんたちが守ってあげるから、何も心配しないで元気な赤ちゃんを産みなさい」。

何という「アガペー」でしょう。かつては世間体を気にし、常に他人からそしられないように懸命に生きてきた世俗的価値観に縛られていた真面目人間の両親にとって、高校生時代から非行に走り、同棲し、しかも妊娠して出戻ってきた娘を受容するなど、以前のM氏夫妻にとっては、どんなにか耐えがたいことであったか知れません。しかも並でない大きなリスクを背負い、また大きな自己犠牲を強いられる結果になることは、火を見るよりも明白なことであったのですから。しかし、今やM氏夫妻は夫婦そろって見事にこのことをやってのけたのでした。

その結果はどうなったと思いますか。F子さんは、この出来事を通して今まで長い間引きずってきた両親への強烈なわだかまりが、一気に取り除かれ、見事に健常な生活を取り戻すことが出来るようになったのでした。これこそ本項における「大きなリスクの甘受と大きな自己犠牲こそ受容の王道」と呼んだ事柄の格好の実例の一つでした。

ちなみにこの両親の「アガペーによる全面受容」の働きを通して、F子さんたちは無事結婚し、立派に元気な赤ちゃんを出産することも出来ました。ともあれF子さんは、この両親の大なるリスクや自己犠牲を甘受してでも、自分のためにどこまでも労し、自分を真実に受け入れてくれた両親の「アガペー」によって見事に癒されたのでした。その後F子さんの家庭は、この“アガペー化”された両親の庇護の下で幸せな日々を過ごしつつ、今日に至っています。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復