愛による全面受容と心の癒しへの道(65)
峯野龍弘牧師
第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道
III. アガペーによる全面受容の癒しの道
2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道
■癒しへの具体的な道(前回に続く)
①子供への謙遜にして真摯な謝罪と告白 加害者告白
②子供の要求を無条件で全面的に受容することによる和解と真摯な受容の証明
③どこまでも受容し続けなければならい不断の受容
➃ 決して子供の行動を規制せず、積極的に支援する覚悟と決断
⑤ “生産的積極的肯定”こそ受容の後押し
⑥ 決して是々非々を言わず、正論をもって抑圧せず
⑦ 断じて他者と比較せず、他者を非難しない
次にアガペーによる全面受容の癒しが成し遂げられるためには、更に“断じて他者と比較せず、また他者を非難しないこと”が必要です。たとえば、「お前は何でいつまで経ってもあの五年生の時の仲良しだった○○君のようになれないのだ。○○君はもうすでに中学三年生だよ。お前はいまだに学校にも行けず、家の中ばかりに引き籠ってしまっていて…」とか、または「××さんは、最近麻薬犯罪で捕まって刑務所に入ったそうよ。人はそこまで落ちたらもうおしまいよね。そのことにくらべれば、あなたの方がまだずっとましよね。ただ学校に行けないだけで、警察の御厄介にならないですんでいるのだから…」と言ったような発言です。このような本人と他者を比較したり、また他者を批判したり、軽蔑したりする発言は絶対禁物です。
では、どうしてこのような発言が禁物なのでしょうか。以下にその理由を幾つか述べてみましょう。
第一に、すでに述べたようにアガペーによる全面受容による癒しの鉄則として、あくまでも本人を全面受容するためには一切他者と比較せず、心傷つき病んでいるその子自身の尊厳をどこまでも重んじ、その子本位に万事を考え、ひたすらその子を愛し、そのケアーに当たらなければならないのにもかかわらず、他者と比較することによってこの鉄則を早くも破ってしまうことになるからです。
第二に、このように比較することにより、受容者である親自身が、他者をうらやましく思ったり、一向にはかばかしくない我が子を見せつけられるようで、非常に悲しく思えたり、焦ったり、更には憤りや憎しみをさえ我が子に覚えたりするようになってしまうからです。その結果、受容し続けることが益々困難となり、行く先に希望の光を失い、心には不安が増し、その思いはいよいよ乱れるばかりです。だから他者と比較することは何と非生産的な愚行であって、それはまさに徒労に過ぎません。
さて、第三に心傷つき病んでいる子供の前で他者を非難・批判することは、これまた禁物です。一見、前述のように我が子がそうでないことを喜び、本人を誉め励ましているつもりかもしれませんが、それが逆効果になることがしばしばあるのです。なぜなら、ウルトラ良い子たちは本来心優しく、他者配慮に富み批判されている相手の気持ちを察し、感情移入が起こり、相手が気の毒になり、あたかも自らが非難されているかのような 錯覚さえ惹き起こすことがあります。のみならず、今は自分を非難してはいないが、やがてはその同じ価値観、評価基準をもって自分も裁かれ、批判されるようになるに違いないと直感するからです。今は自分を受容してはいるが、その実その背後には、以前と少しも変ってはいない世俗的価値観をもって人を裁く体質が、その自らの受容者である親の中になお存在していて、やがては再び自分も裁かれるに違いないと恐れるのです。親が他人を非難し、裁く姿と言葉を目の当たりにする時、心傷つき病めるウルトラ良い子たちは、その瞬間親が今まで自らをアガペーによる全面受容をもって受容して来てくれたと思っていたことが、親の本心からではなく全くの偽りであり、上辺だけの繕いに過ぎなかったと思い、大きな衝撃を受け、絶望するのです。ですから断じて我が子を受容し、他人を批判し、裁くことはしてはならないのです。どうか我が子の癒しのためにアガぺーによる全面受容を始めた方々よ、他人を批判し、非難し、裁いてはなりません。アガペーは、本来その人の心と人間性の本質からほとばしるものであって、我が子と他人とを区別することなく、誰に対しても注ぎ出されるべき普遍的真心だからです。とりわけウルトラ良い子たちは、それを見抜く感性をもっているのですから。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。