愛による全面受容と心の癒しへの道(56)
峯野龍弘牧師
第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道
さて、ここで心傷つき病む子らの癒しの王道である“アガペーによる全面受容”という真理を学ぶにあたって、今一度その癒しをもたらす根源であり、その癒しの法則の生命的基盤となり、かつ中心原理である“アガペー”―真の愛の本質―について思い起こし、各自のお心にその意味するところを深く銘記して頂きたいのです。それは第4章の「心病む子供たちの心傷つくプロセスと諸症状」という解説の中で、特に世俗的価値観に支配されている両親やその同居の親族がもたらしたウルトラ良い子らへの非受容の原因の最たる一つが、親の我が子を愛しているという自負心と真の愛の本質に対する親の無理解によるものであると指摘させて頂いた際に、特にコメントさせて頂いた事でしたが、ここでもう一度記させて頂きましょう。
なぜならくどいようですが、心傷つき病む子らを完全に癒し得る王道は、あくまでも“アガペーによる全面受容”にのみあるからです。つまり、ここで強調・特記されている「全面受容」とは、決して心理学の世界で一般的に言われている「全面受容」という言葉とは、全く異なった意味を持つ言葉だからです。ここで言う癒しの王道としての全面受容は“アガペーによる”という極めて特化された“アガペーに基づき”、“アガペーに根ざし”、“アガペーから生み出された”、まさに“アガペーによる全面受容”だからです。
仮にそこに“全面受容”が成されていたとしても、その“全面受容”が真の愛、つまり“アガペー”から成され、出たものでないとするならば、受容された病める相手は一時的には心が安息したり、癒されたかに見えるかも知れませんが、やがて遠からずしてその“全面受容”が真の愛から出たものではなかったことを知って失望し、心満たされず、再び不安を覚えるに至るでしょう。のみならずその“全面受容”が本心からのものではなく、その場しのぎの対処療法の一つに過ぎなかったと知って、その全面受容してくれた相手に対して、かえって疑いや欺瞞(ぎまん)をさえ抱きかねません。そこで真の癒しの王道としての全面受容は、“アガペーによる全面受容”以外では断じてないのです。
そこで癒しの王道としての“アガペーによる全面受容”の基盤である真の愛“アガペー”とは、何でしょう。それをあえて定義すれば、以下のようになります。
「アガペーとは、相手のために、しかも自らに敵対し不利益を与える相手のためにさえ、あえて自己犠牲を甘受して、その相手の祝福のために、献げ仕えて行く、何一つ見返りを期待しない心と生活である。」
いかがでしょうか? ご理解頂けたでしょうか。ただ一、二度読み返しただけでは、なかなかご理解いただけないかと思います。しかし、この言葉を一語一語、一句一句丁寧に読み返し、その意味するところをイメージしながら味わってみて下さい。ここには真の愛の本質が、実践的に意味づくように定義されています。
これが真の愛であるとしたなら、既に先にも言及しましたが、お互いの“愛してきた”、あるいは“愛している”と思っている愛が、如何に浅薄で、陳腐なものでしかなかったことかに気付かされないでしょうか。その落差は、天と地ほどの隔たりを感じます。これこそが真の愛の本質であり、ここにこそ真の愛の原点が示されています。
この愛の本質を基準にお互いの愛を吟味してみる時、もはやお互いは安易に「愛」を口にすることができないと、絶句してしまいそうにならないでしょうか。事実あるご婦人が、この真実な愛“アガペー”の何たるかを知らされた時、“先生! 私は恥ずかしい! 私は自分が他者よりも愛のある人間だと思い込んでいました。私には愛の欠片(かけら)もなく、あったのは傲慢と、愛を装った偽善だけでした!”と叫んで、筆者の前で泣き伏してしまいました。実に、この瞬間こそが、彼女が真実な愛の発見者となった生涯上の最も大切な瞬間となったのだと思います。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。