愛による全面受容と心の癒しへの道(46)
峯野龍弘牧師
第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
IV. 両親からの抑圧と諸問題
3) 父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧
(2)父親のエリート志向
ii. 自らが両親若しくはそのいずれかにより、またはエリート家系の同居の親族たちなどから強い抑圧を被った父親
第二のエリート志向の父親のタイプは、父親自身がその両親若しくはそのいずれか一方により、また更にはエリート家系の身近な親族などから幼い頃より「エリート志向」を強要されて来た父親である。このような父親は、自らが「エリート」であるなしに関わらず、常に「エリート志向」の亡霊に脅かされて育って来たため、若しくはその反対に「エリート」であることに誤った憧れを抱かされ続けてきたために、「エリート」でなければ自らの心が安息できないほどまでにその心が傷ついてしまっているのである。それ故、寝ても覚めても「エリート志向」の悪夢に追い立てられて、遂に愛する我が子に「エリート志向」を強要してしまう結果となるのである。まことに気の毒な父親であり、また子供である。まさに「哀れ」と言わざるを得ない。しかし、今日の世間にはこうした類の哀れな父親たちが如何に多いことか。それ故、この抑圧の故に心傷つき、病んで行く子供たちが如何にも多く、かつその後を絶たないのである。
iii. 自らが「エリート」でなかったためひどく他者より嫌しめられたり、辱められたりし、その心に大きな傷を受け、心病んでしまっている父親
そこで第三のタイプは、上記の如く自らが「エリート」でなかったために、過去において何度も他者より嫌しめられ、辱められたという不幸な体験を持った人で、かつこれによりその心に大きな痛手を受けそれがトラウマとなってしまっていた父親である。このような不幸な体験を持つ父親は、自らが被った屈辱や痛手を自らの愛する子供たちが被ることのないようにとの親心から、必死になり、躍起になって「エリート志向」を我が子に吹き込もうと努めるのである。ところがこの世俗主義的価値観に基づく父親の卑屈な「エリート志向」や人生観は、純粋な子供たちには極めて不快であり、受けとめ難い生き方である。とりわけ生まれながらのウルトラ良い子には、全くその本性に馴染まず、むしろ拒絶感と嫌悪感を煽り立てる以外の何ものでもない。
それにも関わらず、それを父親の権威を発動して強要するならば、ウルトラ良い子たちの純粋な心は徐々に抑圧を受け始め、その上更に「エリート」でないことをあからさまに悪と断罪され、かつ強くなじられでもしようものなら、それがトラウマとなり、心傷つき、遂に病める症状を呈するに至ってしまうのである。何とも早や気の毒な話である。しかし、悲しいかな、こうした哀れな父親の存在や出来事が、今日の世俗社会では至るところに氾濫しているのである。それ故、お互いはこうした世俗社会の汚濁の激流の中から、一刻も早く愛する我が子たちを救出しなければならない。しかもその最たる加害者が、父親である自分自身であるかも知れないのだから……。
(3)母親の虚栄心と羞恥心
さて、ウルトラ良い子たちの心を傷つけ、悩まし、遂には病める症状を呈させてしまうもう一つの抑圧の原因には、母親の虚栄心と羞恥心という大問題がある。一般的にこの世の人々は、この種の事がむしろ当たり前で、少しも大問題とは思わないで日々生活している。しかし、小僕をして言わしめれば、これこそが大問題である。
そこで以下においてこの問題について言及したい。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。