愛による全面受容と心の癒しへの道(40)
峯野龍弘牧師
第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
IV. 両親からの抑圧と諸問題
1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地
(3) 真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発
iv.天永滅
さて、目に見えざる尊いものへの畏敬心ということに関連していま一つ述べておきたいことがある。それが「天永滅」ということである。これまたいずれも肉眼で認識することの出来ない世界であるが、神によって創造された極めて尊い存在であるお互い人間は、先にも既に述べたように、その内に「霊」性を与えられていることから、天を思い、永遠を見つめ、またその肉体と霊魂が死して滅び行くことを極度に恐怖する、他の被造物には断じてあり得ない極めて尊い思いと感性を有しているのである。おお、何と人間お互いは神秘的にして、不思議な存在であろうか。実にここにこそ人間の尊厳がある。
ちなみに「天」とは、人間の創造者である全能の神のおられる所、つまり「神の国」を意味し、「天国」とも呼ばれる。こここそ人間に生命の霊を注がれたお方、神が居ますところであるから、人間は皆、人間の霊と命の出所である「天国」を思慕するのである。そこで聖書の中には、「わたしたちの本国は、天にあります」(フィリピ3章20節)と言われていたり、また「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」(ヘブライ11章16節)と記されたりしている。
更にまた「永」とは「永遠」のことで、これまた聖書には「神は、すべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる」(コヘレト3章11節)と記されている。そもそも神は永遠の実在者であり、無限である。この神が人間をこの上なく愛されて人間を創造され、その時神は、人間が神の御心に背き、罪を犯し、神に謀反さえ起こさなかったならば、人間には永遠の命を付与され、神と共に永遠に生きることが出来るよう保証された。
しかし、人間は愚かにも神の御心に背き罪を犯し、堕落し、「死する者」、有限な者となってしまったと聖書は教えている。この事はとりもなおさず人間には、本来あるべき「永遠」と「永遠の生命」への思慕と回帰願望が心と魂の深奥に潜在し、それが永遠への憧れを生み出しているということである。
最後にいま一つの「滅」についてであるが、これは「滅び」、「滅亡」の意味であって、とりわけ肉体の生命と霊魂の「死」を意味している。前者の「天」と「永」を思慕する人間にとって、当然ながら「天」と「永」から完全に切断され、「死」んで「滅亡」し、皮肉にも永遠に「滅び」ゆくことは耐え難い恐怖以外の何ものでもない。
「ウルトラ良い子」たちは、これらのことを認識し、「天」と「永」を心の深いところで渇求し、「滅」を恐怖し易い鋭敏な感性を有しているのである。それゆえ両親たちは、我が子のこれらの「ウルトラ良い子」性を一早く見抜いて、幼い頃よりこの感性を受容し、満たし、その渇求に応えて行かなければならないわけである。言うなれば彼らは生まれながらにして強い霊的感性と志向性を持つ「小さな宗教家」なのである。
それなのに両親が、世俗的価値観に支配され、世間的見栄えを気にして、知的能力の開発や他者に優る人物となるようにと英才教育や躾に明け暮れしているとしたら、早晩「ウルトラ良い子」の感性を持った子は、徐々に抑圧を受け、やがて傷つき、無気力になり、その上何かにつけ苛立ち易い精神的に不安定な心病む子供になってしまうことであろう。ここにまた両親の大なる過ちが犯されてしまうのである。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。