愛による全面受容と心の癒しへの道(8)
峯野龍弘牧師
第2章 ウルトラ良い子の特質
4) 絶対価値志向性
次に彼らは、生まれつき絶対価値志向性という素晴らしい特性を持っています。つまり彼らには生まれついた時から、その内に“絶対的価値観”とでも言うべきものを追い求めて生きようとする性質が宿っています。
それは究極“神の価値観”つまり“永遠不変の神の真理に基づいて物事の価値・是々非々を定めようとする価値観”で、これは洋の東西を問わず、いつの時代でも変わらず、まさに永遠不変の価値であって、これこそ“絶対価値”と呼ばれる所以です。
しかし、この世では通常そうではなくお互い人間同士が、相互に比較し合って、誰が決めたものでもないある種の世俗的枠組みに従って、相対的に物事の価値判断をしていく相対的価値観が主流をなしています。これは後に述べるまさしく世俗的価値観そのものでもあるのですが、ところが不思議なことにウルトラ良い子たちは、概して生来この相対的価値観に馴染み難く、その反対に絶対的価値観に馴染み易いのです。
この強い傾向性を「絶対価値志向性」と呼ぶのです。それなのに両親たちは、いち早く彼らがまだもの心さえつかないうちから、相対的価値観または世俗的価値観に従って彼らを教育し始めるのです。彼らは後述するように本来はやさしく、素直な他者配慮に満ちた感性があるので、両親とりわけ母親の教えることに従順に服そうとするのですが、悲しいかな彼らの心は充足しないのです。
なぜならその親の教えるところの相対的価値感から来る教えに、彼らの内にある絶対的価値観を本能的に志向する感性が合致しないので、得体の知れない不納得と不満足感、更には不安が蓄積されていってしまうのです。この状態がいつまでも続くと、いつしか彼らの内には親の持つ相対的価値観に従って彼らの本来持っている絶対的価値志向性が抑圧され、一種の洗脳状態が起こってしまいます。
これは極めて恐ろしいことで自らの心の深いところでは絶対価値を求めているのですが、それを口にし求めることは親を悲しめ、それ以上に親から見捨てられるのではなかろうかと、いたずらに恐れるようにさえなっていきます。そして更に、その洗脳された後発の相対的価値観こそが、いつしか自分の本来の価値観のように悲しくも錯覚してしまい、やがて後天的な有意識下の自分の相対的価値観と、無意識下の本来の絶対的価値志向性とが拮抗し、互いに対立し合うようになるのです。
この後者の性質は彼の生まれながらの本性、特性なのですからこれは決して消滅せず、誰もこれを否定したり抹殺したりすることは出来ないのです。それゆえこの心中の得体の知れない彼らの戦いは、歳と共により深刻化していくのです。
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。