愛による全面受容と心の癒しへの道(2)

峯野龍弘牧師

第1章 ウルトラ良い子論

今日、テレビやラジオ、新聞などでしばしば世間を騒がせている、いわゆる「問題児」と呼ばれる多くの青少年たちがいます。のみならずその残虐にして冷酷な殺人や傷害の手口のゆえに、世間からはあたかも殺人鬼のように恐れられている青少年の存在も、悲しいかな珍しくはありません。しかし、これらの青少年たちの中には、本来はその正反対に、通常の平均人よりもはるかに卓越した人間性を生まれながらにして身に受けて誕生してきた青少年が、決して少なくはないのです。彼等は本来なら実に純粋かつ真実で、心やさしく、情感豊かで、その上他者配慮や使命感に満ち溢れた、まさに他者貢献的な良き資質を持った、更には鋭敏な直感力や霊感に富んだすばらしい人物たちであったのです。それゆえ筆者は、彼等のことを「ウルトラ良い子」と命名しました。

ちなみに通常人々は、不登校や引きこもり、いじめや家庭内暴力、摂食障害やリストカット、更には麻薬や非行、その挙句の果てには自殺や他殺にまで及ぶ彼等を問題児、落ちこぼれ、人格障害児、悪童、ろくでなし、遂には極道者などと様々な言い方で身勝手に呼称しますが、これは何と彼等にとって不名誉な、残酷かつ無理解極まりない誤った言葉であることでしょう。こう呼ばれることによって彼等の自尊心はますます傷つき、癒しは更に遠のいてしまいます。

ところで、世間ではよく自分や他人の子供たちを、無意識の内に大枠で「良い子」、「悪い子」、「普通の子」、更に「極めて良い子」、「極めて悪い子」の五つのカテゴリーに分類し、評価してしまっていますが、筆者はこの五つのカテゴリーに入らないもう一つのカテゴリーのあることについて、あえて提唱したいと思います。それが前述した「ウルトラ良い子」です。これを「超良い子」と日本語的に呼んでも良いのですが、より多くの親しみと、並でないスケールで彼等の本性、感性の内に宿っている天よりの賜物の卓越性を考慮して、あえて奇妙に思える「ウルトラ良い子」と命名させていただきました。その意味するところについては後程詳細に解説することにいたしましょう。

 しかし、ここで一言しておきたいことは、この「ウルトラ良い子」と言う概念は、先の五つのカテゴリーと縦並びに配置して最上位にランクされると言うような、いわゆる人間の能力評価やグレードを意味しているのではなく、人間の良し悪しをはるかに超えた天与の感性や性質の卓越性を意味するものであって、誰もこれを誇ったり、媚びたりすべきものではないのです。ただ大切なことは、この性質と事実を認知し、受容し、育成、活用することなのです。このことについても後で詳しく説明することにいたしましょう。

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。