安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(23)
峯野龍弘牧師
第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々
Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き)
■「ただ信じること」の奥義(前回に続く)
③「聖霊なる神」の存在とその働きを信じること
さて、更に「ただ信じること」の奥義で重要なことは、「聖霊なる神」の存在とその働きを信じることです。「聖霊」とは、「聖なる神の霊」、もしくは「霊的な神の存在とその働き」そのものを意味する神と御子主イエスの「別称」と言ってもよいでしょう。そもそも「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)と記されているように、神は天地宇宙万物をもご自身の御手の中で掌握しておられる、人間の視界を遥かに超えた大いなる御存在です。神が天地万物を創造された時、「神の霊」は既にそこに存在し、働いておられたのです(創1:2)。なぜなら神御自身が霊的御存在だったからです。そして神が、この世でご自身の御業を成さり、特に人間の中に働きかけ御業を遂行なさる時には、必ず霊的な力と命をそこに注がれ、霊的実在者としてご自身を顕現(けんげん)されます。しかも、「神の霊・聖霊」は、人間に働きかける場合は人格的御存在として、「言葉・声」をもって「神の御意思・御心」をお示しになります。しかも、時としては人間の肉体や精神の内に宿られ、御業を行われます。そのとき「神の霊・聖霊」に満たされたその人は、偉大な知恵と力を発揮することが出来ます。ですから旧約聖書時代の偉大な人物や預言者たちは、皆この神の霊に満たされて活躍した人々でした。
そして旧約聖書時代には、若干の例外を除いてほとんどが、「神の霊」としてご自身を現わして来られた霊的神は、新約聖書の時代を迎えて一気に「聖霊」と呼ばれるお方として、ご自身を顕(あらわ)すようになりました。それはまた旧約時代の「父なる神の霊」としてではなく、主に新約時代の「御子の霊」、「キリストの霊」、とくに「復活されたキリストの霊」としてご自身を啓示されました。
特に新約聖書の中での聖霊に関する顕著な言及は、以下のような御言葉によって知ることが出来ます。
① キリストの御降誕に関して
「マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(マタイ1:20)、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」(ルカ1:35)
② 主イエスの証言において
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:26)
③ ペンテコステに関して
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)
「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(同2:4)
「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(同2:38)
④ ペンテコステ後の初代教会の中で
「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した。」(同4:31)
そしてこれ以降、使徒言行録以下、パウロ書簡をはじめ、すべての新約聖書の書簡の中には、「聖霊」に関する言及が、あたかも氾濫したかのように随所で言及されています。のみならずこの「聖霊」の働きによって、すべての人々の心の目が開かれ、主イエスを主と告白することが出来るばかりか、その一人一人の内にキリストが内住され、彼らは神の子とされ、聖霊に満たされて力強く、愛に満ちあふれた「聖められた生涯」を全うすることが出来るようになるのです。これはすべて「聖霊の働き」によるものなのです。そしてお互いがこれらの真理を、信じられるようになるのもまた、「聖霊の御存在とその働き」のゆえなのです。ハレルヤ!(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。