愛による全面受容と心の癒しへの道(78)
峯野龍弘牧師
第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道
III. アガペーによる全面受容の癒しの道
2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道
■癒しへの具体的な道
⑮人間の本質と尊厳、またわが子の存在価値とその使命とを疑わず信じ続けること(前回に続く)
そこで第二は、心傷つき病んでいる当該の本人にとっても、この「人間の本質と尊厳、また自らの存在価値とその使命」に目覚め、ひたすらそれを信じて仰ぎ続けるということが、いかに自らの癒しにとってかけがえもなく重要なことであるかを知って頂きたいと思います。
ところが心傷つき病んでしまっている人々に、いきなりこのことを要請しても所詮それを理解し、実践することは不可能に近いことです。そもそも彼らは、すでにこうした真理が全く理解できないほどまでに、極度の抑圧のゆえに彼ら自身を見失い、自らの尊厳感を喪失してしまっているのです。そこで重要なことは、まず彼ら自身に人間自身の本質とその尊厳、また自らの存在価値と尊さ、そして更には自らの尊い使命を認知できるよう育んであげる必要があるのです。そこで、この育みのための最良の方法こそが、「アガペーによる全面受容」の道なのです。
■人間の本質と尊厳、自己の存在価値と使命を覚醒させる「アガペーによる全面受容」の道
人は誰でも例外なく「アガペーによる全面受容」に持続して与り続ける時、その心と霊魂は安息し、肉体は活力を得、癒しと回復が促進されます。その時、その精神が健常化し、自己の尊厳と存在価値を認知し始めます。これを「覚醒された正の自己認識」と呼んでも良いと思います。それまでは、彼らは決して自分の真に何たるかを理解することが出来ず、自らを卑下し、その尊厳や存在価値、ましておや自己の使命などは全く認め知ることが出来ないほど、自己破壊を引き起こしてしまっていたのです。これを「自己喪失している負の自己認識」と呼びましょう。
ですから「自己喪失している負の自己認識」から「覚醒された正の自己認識」へと、彼らを育んであげるための「アガペーによる全面受容」の育みが、何としても決定的に重要となるのです。お分かりいただけたでしょうか?
■「覚醒された自己認識」の度合いに応じて、自己の尊厳と存在価値を認め、自己の使命を仰ぎ見ること
そこで何よりも重要なことは、周囲の人々がどう思おうとも、また、過去の自分がどうあったにしろ大切なことは、人間は天地万物の創造者である神によって、他の被造物のすべてに優って尊い者として創造された神の傑作品であり、一人一人に固有の使命が与えられている価値ある、唯一の存在であることを額面通り信じて、決して自己の尊厳と存在価値を疑わず、自分が遂げたいと切願している一筋の尊い使命を仰ぎ見て、ひたすら走り続けることです。この高貴な事実と一点の目標を見つめ続けて生きるところに、更なる癒しが促進されるのです。ですから、くどいようですが再度申し上げます。「人間の本質と尊厳、そして自己の存在価値と尊い使命」を仰ぎみましょう!ひたすら、一筋に! (続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。
⑪感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復