愛による全面受容と心の癒しへの道(18)

峯野龍弘牧師

第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因

I. 世俗的価値観

B. 世俗的価値観を構成する恐るべき諸要素
1). 行き過ぎた現実主義、現象主義
ii). ウルトラ良い子B子さんの場合

次にB子さんの例を紹介しましょう。B子さんの両親は、両親とも学校の教員でした。父親は地方の資産家の息子で比較的無口で、どちらかと言えばやり手の妻の尻に敷かれるタイプの人間でした。母親はこれまた豪農の出身で、家柄を重んじ、高学歴、地位、名誉、財産にこだわる人柄でした。夫婦仲もあまりよくなく、近隣には親類縁者が住んでおり、何かと過干渉の複雑な人間関係がB子さんの周囲を取り巻いていました。兄弟は兄が一人だけいましたが、その兄もB子さんも共に小さいうちより英才教育を強いられ、優秀でなければ他人に笑われ、教員である両親とりわけ母親にとってみっとも無いと、絶えず叱咤激励されて育ちました。兄の方は、ごく普通の頑張り屋の真面目人間で、かつ要領の良い人でしたから、そんな母親の期待の許に常に母親の気持ちを損ねないよう大義名分を得て下宿生活をして過ごし、後に医科大学を卒業して医者になりました。

ところがそれとは逆に妹のB子さんの方は、典型的な生まれながらのウルトラ良い子で、このような両親の現実主義的、現象主義的な世俗の価値観から出てくる言動や子育ての手法には、悉く馴染まず、絶えず叱られどうしで、親にしてみれば兄や世の一般的子供たちのように何故この子は言うことを聞かず、我侭で、その上自分の好きなことばかりしていて、他人に迷惑ばかりかけているのかと、しきりと叱り飛ばし、時には分かるまで叩いて折檻することもしばしばでした。そこで泣き泣き仕方なしに、やっとの思いで頑張り、それこそ外見的には他者と遜色なく大学に進み、しかも大学院までも修め、就職しました。しかし、その彼女の人間性と心はひどく傷つき病んでしまっていました。やがて彼女は社会に出たのでしたが、もはや健常な人間関係が結べず、既に先に述べましたような「対人関係不全症候群」に悩まされるようになってしまいました。彼女は、他人の強い言動や些細な非難の言葉に遭遇すると、突然得体の知れない恐怖心が湧き起こり、急に泣き叫んだり、言葉を失い、体が硬直し倒れたり、時にはその逆に狂い叫ぶようにして物を投げたり、相手を攻撃したりするようになってしまいました。これは過去に数え難いほど母親から受けて来た仕打ちがすっかりトラウマとなっていて、他人の強い言動や些細な非難に出会った時、その瞬間にフラッシュバックして過去の恐怖が甦り、このような異常心理、異常行動を引き起こしてしまうのです。

これまたB子さんが、生まれながらの優しく純粋なウルトラ感性を両親、特に母親から充分理解され、受容されて育ってきたならば、全く起こり得なかった世俗的価値観から来る、行き過ぎた現実主義、現象主義的子育ての恐るべき弊害だったのです。B子さんがしきりと母に求めていたのは、何よりも先ず、わが子のこのウルトラ良い子の感性をよく理解した上での、温かい愛による母親の全面受容だったのです。(続く)

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。