「ダビデと共に」
シルバーウィークをどのように過ごされたでしょうか。私は、青年会の兄弟姉妹と共に9月20日午後から22日まで修養会に行ってきました。今回は、栃木県所在の塩谷キリスト教会を会場に恵みあふれる二泊三日の時を過ごしました。教会のキッチンをお借りし、一緒に食事を作り、兄妹は礼拝堂、姉妹は交わりのスペースで宿泊し、4回の讃美と御言葉の時を持ちました。教会を導かれる冨森真一先生の証しとご夫妻の特別讃美の時間もありました。あいにくの台風で予定していた野外活動はほとんど出来ませんでしたが、そのおかげでもっと濃密な時間を一緒に出来たことは大きな祝福でした。この修養会で分かち合った御言葉をここでもご紹介します。
今回の主題は「CallingMission」でした。主からの召命を受け、遣わされるためにはどうしたらよいか。青年たちとの準備の課程で与えられた主題を心に置きながら、ダビデの生涯を通して学ぶアイデアが与えられました。
① 「主の心に適う者」サムエル記上17:41-54
8人兄弟の末っ子だったダビデの何が特別だったでしょうか。最後の士師であり、偉大な預言者サムエルの目にもそれは明らかではありませんでした。ただ主なる神様は「人が見るようには見ない」お方です。「心を見る」お方です(サム上16:7)。後に新約時代、使徒パウロは説教中、ダビデを言及しながら、神様がダビデについて次の言葉を語ったと言います。「彼は私の心に適う者で、私の思うところをすべて行う」(使徒13:22)。ダビデにあったただ一つのことは、神様に適う心です。
召命とは何でしょうか。神様から示されるまで、天からの声が聞こえるまで受け身になって待つことだけではありません。神様から既に与えられている心、神様に用いられたい、主のために何かをしたいという心を守り、それを行うことです。ダビデはその心一つだけを持ってゴリアトに立ち向かいました。青年のみなさんに主が求められることも主の心に適いたいという心だけです。
② 「必要なのは友」サムエル記上18:1-4
ゴリアトを倒した後、ダビデはサウル王の目に留まり、王に仕えるようになりました。サウルにも主に適う心が最初はあったはずです。しかし、サウルはその心を大切にせず、失ってしまいました。その結果、ダビデに大きく頼りながらもダビデを妬み、やがては殺そうという心まで抱くようになりました。しかし、不思議なことにダビデは、サウルの息子ヨナタンと親友になるのです。政治的に二人は、友になれない関係にありました。
友情は、逆境の中で芽生えます。主を愛し、その心を育てて行くために欠かせないことは、友情です。青年の時、一生を共に出来る信仰の友人をたくさん作ってください。ただ同じ教会に通うだけの関係ではなく、お互いを主の中で知り合い、愛し合う友となってください。ヨナタンは、ダビデの命を救います。ダビデが自身の王位継承の妨げとなるかも知れないことを良く理解しながらも。ダビデは自らサウル王に反逆するつもりは全くありませんでした。しかし、結局戦死したサウルとヨナタンのため悲しみ、王となってからはヨナタンの息子であるメフィボシュトにサウルとヨナタンの遺産を与え、自分の息子たちと同じ食卓に着かせます。サウルの子孫を生かして置くことが自らの王位に脅威となることを良く理解しながらも。
③ 「自分を知る勇気」サムエル記下12:1-15
人生の高きも低きも知るダビデの人生は何と波乱万丈だったでしょうか。しかし、本当の危機は王になった後にやって来ました。不思議なものです。様々な困難が私たちを苦しめますが、本当の危機は祈りが答えられ、安泰だと思う時に襲ってくるのです。
内外の敵を治めたダビデは、自ら戦場へ出ることを怠りました。その時、自分の忠実な部下ウリヤの妻が目に留まったのです。ダビデは、姦淫を犯すのみならず、自らの犯罪を隠すためにその夫を巧妙に戦場で死なす企てまで実行しました。人の目は騙せても神様の目を騙すことは出来ません。ダビデが用いられたただ一つの理由、主の心に適う心はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。
聖書は、いわゆる「聖人」を描きません。生身の人間を描きます。主から与えられた心を失ってしまうことが必ず起こります。その時どうすればよいでしょうか。預言者ナタンを通して、「それはあなたです」という強烈な言葉を受けた時、ダビデは言い訳をしないで認めました。主は、ダビデの罪を赦してくださいましたが、罪の結果は残りました。ダビデはそれもまた受け止めました。自分を知る勇気、私たちにはそれがありません。しかし、聖書の御言葉は剣のように私たちの心の中を刺します。逃げないでその御言葉を受けましょう。そして、悔い改めをもって自分を知る勇気を受け入れましょう。
④ 「あなたのほかに幸いはありません」詩編16:1-11
ダビデは数多くの詩編を書き残しました。祈りの讃美の素晴らしい教材です。ダビデは告白します。「あなたこそ、わが主。あなたのほかに幸いはありません」(詩編16:2)。その人生を通してダビデは神様を深く知ることが出来ました。主は、私たちの祈りを聞いて、願いを叶えてくれる道具ではありません。主ご自身が、私たちが求めるものであり、主ご自身の中にだけ幸いがあります。神様がなされることは、それを私たちに教えることです。「主はわが受くべき分、わが杯(さかずき)」(16:5)というダビデの言葉を理解できるでしょうか。主を味わったことありますか。それを知り、主ご自身を喜び、礼拝すること、それが私たちのミッションです。もっと多くの人々に、仲間たちに、周りの青年たちに知らせましょう。主の味わいを知る仲間の輪をもっと広くしてくださるように祈り求めましょう。
淀橋教会主管牧師 金 聖燮

