信仰生活の羅針盤(27)

峯野龍弘主管牧師

第11章 全き愛を追い求めて生きよう

(前回に続く)

Ⅲ.愛こそ神の創造された人間の本性への回帰

使徒パウロが、コリントの教会の信徒たちにこう勧告しました。「あなたがたは、もっと大きな賜物を熱心に求めなさい。そこで、私は、最も優れた道をあなたがたに示しましょう。」(Ⅰコリ12:31)と。いったいこの「もっと大きな賜物」とは、何でしょう。またこの「最も優れた道」とは何でしょう。言うまでもなく、それは「愛」です。私たちは、この「大きな賜物」、「最も優れた道」をいつ、どこで、誰から戴いたのでしょう。それは言うまでもなく天地万物が創造された時、この地上で、創造者である神から戴いたのでした。何故にでしょうか。それは創造者である神が、私たち人間をこの上なく愛されて、「神は人を自分のかたちに創造された。」のです。(創1:27)。

では、「かたち」とは、何でしょう。単なる外見ではありません。そもそも神は、人間の肉眼で検証できる物質や物体ではありません。神は「霊」です。にもかかわらず何故に「かたち」と表現されたのでしょうか。それはその本質において「似る」ものだからです。では「神の本質」とは、何でしょう。それは「愛」と「聖」と「創造主(全能者)」です。しかし、その中で最も大いなる根源的本質は、何でしょう。それが「愛」なのです。最も聖なるものは「愛」であり、「愛」がすべてのものを創造した神の根源的動機だったのです。「愛」がなければ、すべては「無に等しく」、「無益」(Ⅰコリ13:2~3)なのです。ですからヨハネは、見事に「神は愛だからです。」(Ⅰヨハネ4:8)と言い切ったのでした。

それでは果たして人間は、どれほど神から愛されたのでしょうか。それは神ご自身の本質に「似る」ものとして創造されたほどに愛されたのでした。世界中、いや宇宙全体の中で神に「似る」ものとして創造されたものは、人間以外に何一つありませんでした。しかも、人間は神の御心を知り、神と交わり、会話し、その愛を分かち合い、御心に従って生きることが出来るものとして創造された唯一の尊い被造物(被造者)だったのです。何と驚くばかりの偉大な神の創造の奥義・秘義であったことでしょう。

ですからお互い人間が「愛」に立ち帰ることこそ、人間が真に人間であるために決定的に重要な一事であり、不可欠な真の人間の要件また条件と言っても過言でないでしょう。ですから、愛こそが神によって創造された本来の人間性への回帰の道と言えるでしょう。使徒パウロは、コリントの教会の人々がいつしかこの本道から逸れてしまい、折角、他の諸教会に優るとも劣らないほど成長を続けて来たのに、今やその内部にキリストの復活をめぐって論争が生じたり、異端問題が起ったり、わけても内部で勢力争いや分争などが生じていことを知って、何としても和解と一致が生まれてほしいと願ったに違いありません。その最大の問題は、彼らの内に最も重要な愛が失われ、それ以外のところに彼らの心と思いが注がれていたからです。そこで彼はこう言ったのでした。「あなたがたは、もっと大きな賜物を熱心に求めなさい。そこで、私は、最も優れた道をあなたがたに示しましょう。」と。それがこの有名なコリント第一の手紙の第13章の珠玉の一章だったのでした。ですからお互いも生涯愛を追い求め続け、それからそれないようにいたしましょう。そこでパウロは、そこをこう結んだのです。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です」(同13:13)と。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。