東京・新宿で日本最大級の礼拝堂

私たちのストーリー

湧き出る喜び

Y. S.

通勤経路で見ていた教会の看板。それまではただの風景だった「教会」に通うことになるとは…。教会に通い、神と出会い、喜びと平安を得た、ある男性のストーリー。

 私は今から約34年前に、就職のため東京に出てきました。地下鉄の早稲田駅から歩いて10分程のところに会社の社員寮があり、その寮で社会人としての第一歩が始まりました。朝、出勤のため早稲田駅へ行く途中に雑貨屋さんがあり、その店先に教会の礼拝案内の看板が掲げてありました。毎朝それを目にしていたので、近くに教会があることは知っていましたが、当時はキリスト教に関心がなく特に気にもしていませんでした。

 その後、会社で今の家内と出会い、家内が高校時代に受洗したクリスチャンであったことから、付き合い出してまもなく教会に行くことを強く勧められました。私は人に強制されるのがとてもイヤで、反発していました。それでもしつこく勧めてくるので、あるときついに我慢の限界に達し、「よし、今日また教会に行けと言ったら、もうこれで二人の関係は一切終わりにしてやる!」と決心しました。そのように覚悟して出かけていったのですが、どういう訳かその日は家内の方がはっきりしたことを言わず、結局私も別れると言い出せないまま空振りに終わってしまいました。その頃、家内は私が信仰を持つよう神様に祈り、また教会の先生にもお祈りをお願いしていたようです。

 何となく中途半端なつきあいがズルズルと続いていたある日、例の店先の看板でボランティアに関する講演会が教会であることを知りました。当時ボランティア活動に多少関心を持っていたことから、ほんの軽い気持ちで教会に行ってみようかと思ったのです。それが私にとって教会との初めての出会いになりました。今振り返ると、このような導きの裏にはお祈りの力があったと思います。もしあの時教会に行かず、まことの神様とイエス様を知らないまま過ごしていたら、今頃どんな生活を送っていたか...。もともと根気が続かず挫折しやすい性格だったため、会社がイヤになって実家のある大阪へ帰っていたかもしれませんし、もしかすると仕事が生き甲斐になってそれなりに頑張っていたかもしれません。

 神様とイエス様を信じるようになって一番変わったことは、何と言っても神様とイエス様に愛されている、という喜びが与えられたことです。信仰をもってから得た心の奥から湧き出てくるこの喜びは、イエス様が私の代わりに十字架にかかって命を落としてくださったことによって、私たちがたましいの救いを得ていることから来るのだと、聖書から教えていただきました。

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、
言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」

ペトロの手紙一 1章8節-9節

 この喜びは、努力したわけではなく日常生活の中でとても自然に出てきました。今まで当たり前のように思っていたことが当たり前ではなくなり、一つひとつのことが感謝できるようになりました。例えば夜とても気持ちよく寝られるとか、おいしくご飯をいただける、といったことです。普通なら見過ごしてしまうような小さなことでも、とてもきれいに見えて感動することが多くなりました。私はよく犬を連れて自宅近くを流れる荒川の土手へ散歩に行きます。4月、5月頃になると土手の雑草が一斉に咲き出します。それらの花が光りを受けてキラキラ輝いているのを見ると、キレイだなー、神様の御業は本当にすばらしいなと感動してしまいます。これらのことを通して、私たちは神様の恵みによって生かされているんだ、神様の愛がなければ一瞬も生きていけない存在なんだ、ということがはっきり分かるようになりました。

 もう一つ自分が変わったと思うことは、打たれ強くなったことではないかと思います。イヤな目にあって、たとえ頭は悩みで一杯になっても、それが心の奥までは入り込んで来ないようです。それは魂が聖霊様に守られているからではないかと思います。以前、中間管理職の立場にあったとき、上からの圧力と下からの突き上げを受けて四面楚歌のような状況に陥ったことがありました。皆さん、「サザエさん症候群」という言葉をご存じでしょうか。日曜の夜、テレビ・アニメの「サザエさん」が始まる時間帯になると、明日から始まる仕事のことが頭に浮かんできて憂鬱な気分になるという症状です。当時の私がまさにそれでした。しかし、そんな状況にあっても、夜はぐっすり眠れるし、ご飯はおいしいし、体の方はストレスを全然受けていないような不思議な感じでした。

 以上の二つ以外には、自分が変わったと思えることは特になく、「相変わらず過ちを繰り返しているなぁ、正しい生活が思うようにできないなぁ」と落ち込むこともよくあります。しかし、家内からは「あなた変わったわよ。自分では分からないでしょう」とよく言われます。いったい何が変わったんだと聞くと、「とにかく穏やかになった」と言います。昔は、会社でイヤなことがあると、家に帰ってきてそのままフトンを頭からかぶり、プイとふくれて寝てしまうことがしょっちゅうあったようです。「へぇー、そんなこともあったかなぁ」と私はよく覚えていません。自分では自身の変化にあまり気がつきませんが、イエス様を信頼し心から愛することを続けていくうちに、自然と変えられていくものなのだ、と思わされます。

 神様は、私をイエス様に出会うよう導いてくださり、この30年間多くの喜びと恵みを与えてくださいました。これまでの歩みを振り返ると、苦しいときに神様から与えられた聖書の御言葉による励まし、導き、恵みの一つひとつが思い出され、感謝で胸が一杯になります。先に信仰を与えられた者として、この宝を自分のものだけでしまっておくのではなく、神様とイエス様の十字架の福音を伝えるため、自分に与えられたタラント(※)を活かして歩んでいきたいと願っています。

※タラント:ここでは、神様から私たち人間一人ひとりに与えられている能力の意味

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