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私たちのストーリー

イツワリからの脱出

Y.Y

IT業界では名の知れたシステムエンジニアだったY。偽りの世界でなく、真実の世界に住もうと、葛藤し、変えられた、ある男性のストーリー。

 私は幼少の頃からパソコンに触れることが出来る環境に恵まれていました。その環境とは、長い休みの度に出かける親戚の家でした。そのおかげで、私が大学に進学した時には、既にIT業界では少し名の知れた人物になっていました。専門家の勉強会の講師を担当し、書籍や雑誌に執筆するなど精力的に活動していましたが、残念ながら家庭の事情で大学を中退することになりました。

 大学中退後、20歳で「M社」に入社しました。人々は私を更に賞賛するようになり、私は「M社のYさん」と呼ばれるようになりました。講師の依頼や、最新技術について特集記事を書くなどシステムエンジニアとしての活動も更に増え、私はすっかり天狗になってしまいました。

 しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。健康状態と自分自身の社会人としてのマナーの足りなさが原因で、入社からたった数か月で、私はM社を退職することになったのです。すっかり天狗になっていた私は、退職する間際に「あの大企業でも俺を見る目がなかった。」などと思っていました。そして、M社を退職後も自分自身の行動を何も改めようとしなかった為、私は会社を転々とすることになりました。

 4社目の会社に勤めていたある日、急に体調が悪くなったため、私は早退することにしました。そして、早退直後に勤務先の最寄駅で倒れてしまったのです。救急車で大学病院へ運ばれた私の姿は、実にひどいものでした。今思えば、ある脅迫観念によって鋭く怯えきった目に、その全てが集約されていたような気がします。

 この出来事が起こった当時、私は20歳でした。20歳といえば、一人の人間として、底の深さも、プロフェッショナルとしての技術力も、いくら人並み以上だったとは言え、たかが知れています。それなのに、私は必死に嘘をつき、物事を知ったふりをし、時には経歴を詐称し…。いくつもの嘘を塗り重ね、気が付けば私の目の前にあったものは「生き地獄」そのものでした。

 私は体調を崩し、睡眠薬や不安を和らげるような向精神薬と言われる精神科の薬も処方されていたのですが、それも体質の問題で効かず、ただただ辛い日々を過ごしていました。しかし、それでもまだ私は、自分の行動を改めることはありませんでした。入院中もPHSをPCに繋いでインターネットをするなどし、体調を崩して入院してからも周囲の人に嘘をつき続けていました。あれだけの辛さや苦しみの中でも、私の行動は、表面的には何も変わっていませんでした。

 そんなある日、とうとう私の心は悲鳴をあげました。大の音楽好きだったにも関わらず、全ての物音が恐怖の対象となってしまいました。小中高といじめにあった時は音楽で癒されていたものでしたが、その大好きだった音楽も聴けなくなった時は、本当にどん底でした。ちょっとした物音でも発狂するほどで、音という音を一切聴くことができなくなってしまいました。

 その後、なんとか退院はしたものの、2年以上もの間ほとんど家から外に出ませんでした。仕事もせず、ただひたすら引きこもる日々を送っていました。友達はオンラインゲームと、そこで共に冒険しているゲーム仲間だけでした。その仲間も、私のゲームのレベルが高いから友達でいてくれて、私を頼ってくれているだけでした。ひきこもりで時間が無限にあったので、ゲームのレベルが高くなるのは当然の事でした。

 そんな日々は、楽で居心地の良いものでしたが、ある意味では辛い日々でもありました。辛くはありましたが、それでも私が生活を改めるということは全くありませんでした。そんなある日、不思議な出来事が起きました。午前3時頃、ゲーム仲間が皆寝てしまい、私も一眠りしようと思ったその時、突然誰かの声が聞こえたのです。

「本当にこのままでいいのですか?
今のままではあなたは世界に見捨てられてしまいますよ。」

 「世界に」という言葉が非常に重く聞こえました。確かにその通りでした。あれだけ痛い目にあったにも関わらず全く変わろうとしなかった私は、「人を騙す」ことが生きがいになっていました。そんな人をこの世の誰が相手にするでしょうか?誰が心配してくれるでしょうか?

 それなのに、その声の主だけは、私を心配して声をかけてくれたのです。私はどうすれば良いか分かりませんでしたが、声の主に聞きました。

「でも、どうすればいいのかわからないのです。」

声の主は言いました。

「悔い改めて、皆に愛される人になりなさい。真実のみを語りなさい。」

 その日以来、不思議に力が与えられ、驚くくらい自分自身を冷静に見つめることが出来るようになりました。最初は失敗ばかりでしたが、その都度、この出来事を思い出して反省し、態度を改めることが出来るようになりました。

 この出来事から何年もの時を経て、やっと私は社会復帰を果たしましたが、あの声の主が誰なのかは、ずっとわからないままでした。そんなある日、その答えを淀橋教会に導かれて知ることになりました。その声の主が、私をこの世に創り出した創造主であるというのです。

 それから数か月後、私は、イエス・キリストを信じ洗礼を受けました。それから更に1年ほど経った春に、親戚から一通の手紙を受け取りました。その親戚とは、冒頭で説明した幼少の頃通ったパソコンのある家の親戚です。手紙には「祈っています」と、書いてありました。その一言を見たとき、私は思い出したのです。その親戚は、仏教徒ばかりだったうちの家系で、唯一のクリスチャン一家であり、一族からは変わり者扱いされていた家族だったのです。

 私がどん底を彷徨っていたとき、不思議な声を聞いたのも、淀橋教会に導かれたのも、イエス様と出会い、洗礼を受けたのも、背後にクリスチャンの親戚の祈りがあったからだとその時悟りました。そして、あの声の主は神様だったと確信しました。

 聖書には、こう書いてあります。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入って
その者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

ヨハネの黙示録3章20節

 イエス様が、私の心の戸を「変わりなさい」と叩いてくださっていたのです。

 聖書には、愛について、また、真実を語ることの重要性についても書かれていました。当時聖書を全く読んだことのない私は知るはずもなかったのですが、その事実に気が付いたときは、本当に驚きました。

 今、私は神様を信じることが出来、素晴らしく充実した毎日を送っています。素晴らしいと言っても良いことばかりでなく、辛い試練も多く与えられていますが、それでも神様が共にいてくださることによってその試練の辛さは和らげられ、素晴らしいことを通して得られる喜びは、信仰を持つ以前の何倍にもなっています。自分の努力で変えられなかった自分の内面が、イエス様を信じ、救われることで変わり、今では感謝してもしきれないです。この喜びを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。

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