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私たちのストーリー

愛されるよりも愛する者へ

M. Y.

「愛されたい」それは私たち人間が自然に抱いてしまう願望。愛されることを望むより、愛することを選べるようになった、ある女性のストーリー。

 私が初めてイエス様のことを聞いたのは、私が20歳の頃でした。もちろん、キリスト教のことはもっと以前から聞いていましたが、「輸血をしてはいけない」などの誤った知識を持っており、あまり宗教自体、良いイメージがありませんでした。ですが、子供のころには、通学路に立っているお地蔵さんにお祈りをしたり、夜空の星を見上げながら、神様にお祈りをしたりしていたので、子供ながらにも宗教心はあったようです。

 私にイエス様のことを伝えてくれたのは、病院に通うある一人の患者さんでした。その患者さんは、注射を受けている短い間、よく教会やイエス様のことについて、嬉しそうに私たち看護士に語ってくれました。"自分の敵を愛せよ""隣り人をあなた自身のように愛せよ"と、その患者さんが教えてくれた聖書の言葉を今でもよく覚えています。

 

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

マタイによる福音書 5章44節

 

「隣人を自分のように愛しなさい。」

マルコによる福音書12章31節

 その言葉を聞いて「キリスト教って純粋でいいなぁ」と思いましたが、道徳のようにそれを捉えただけで、そこで教会に行こうとか、聖書を読んでみようとは思いませんでした。ある日、この患者さんが病院のスタッフ全員に聖書をプレゼントしてくれました。まさか、その聖書が後に大きな働きをなすとは当時の私は思ってもいませんでした。

 イエス様に出会う前の私は、心の思うまま、気の向くままに行動をする者でした。いつも心が満たされず、心を満たす何かを求めていたのだろうと思います。冒険が好きで、ろくに計画も立てず、親にも話さずにいきなり遠くに旅に出たり、自分勝手な行動をしていました。ヒッピーに憧れていました。

 そんな私が25歳の時、いけないことだと分かっていても、心の思うまま、自分の心を優先し行動した結果、大きな罪を犯してしまいました。私は人生をやり直したいと思い、その後一年間、オーストラリアに旅立つことにしました。

 オーストラリアで、ある男性と出会いました。私は、自分の犯した罪を彼に告白しました。その時彼は「イエス様はゆるしてくれているよ」と言ってくれました。彼はクリスチャンでした。何でイエス様が私の罪をゆるしてくれるのか、分かりませんでしたが、その言葉とイエス様の優しさが心にしみ、涙が溢れてきました。

 彼とは、日曜礼拝に時々一緒に通うようになりました。牧師先生が話すメッセージ自体は、英語のため全く理解出来ませんでしたが、聖餐式のたびに先生が頭に手を置いて祈ってくださり、なぜか涙がこみ上げてきました。心の重荷が軽くなり、癒され、聖められるような感じがしました。

 帰国後、彼の信じているイエス様について知りたいと思い、あのクリスチャンの患者さんから頂いた聖書を本棚から探し出しました。昔から本を読むのが嫌いで、忠実に初めから最後まで読まなかったためか、自分ではあまり聖書を理解することが出来ませんでした。

 そんなある日、信じていたはずのオーストラリアの彼から、まるで"裏切られた"と思えるような、悲しい体験をしました。ショックで心は張り裂けそうになりました。自分ではどうすることも出来ず、苦しく、助けを求めるように家の近くにある教会に足を運びました。日本の教会に行くのは初めてで、最初はかなり勇気がいりましたが、思い切って飛び込んでみました。それが、私の母教会となった、Sキリスト教会です。

 家庭的な教会で、見ず知らずの私を快く受け入れ、歓迎してくださいました。教会で聖書を学ぶようになり、いかに自分は罪人であるかがわかりました。罪を告白し、悔い改めた後、イエス様が自分の罪のために十字架上で死なれたことを、頭ではなく心から信じました。イエス様が私の救い主であること、世界中の人々の救い主であることを確信しました。

 私はイエス様と出会い、生きる目的を知りました。また、人生で求めるものが、イエス様、神様であることもわかりました。以前は、辛い時、悲しい時、苦しい時、自分の力や考え方を変え、乗り越えようともがいていましたが、今は私の人生の全てをご存知な神様にお話しし、祈り、身の周りで起こる状況や結果を委ねることが出来るようになりました。まだまだ自分勝手で自己中心的になってしまう時もありますが、いつも後で気づかされ、悔い改め、祈ることが出来るようになりました。

 神様の愛に触れていると、本当に自分には愛がないことに気づきます。また、愛されることを願っていた私が、神様の愛を毎日受けるようになってからは、愛されるよりも愛する者となりたいと思うようになりました。

 昔は、刺激を求め、遠くへよく旅に出ましたが、もう今はその必要もありません。どんな状況にあっても、決して裏切ることなく私たちを愛してくださる神様に出会えたことは、本当に幸いです。

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