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私たちのストーリー

心を見る神様

M. I.

人はなぜ生きるのか?人生の目的は何か?私たちが「行動」する際の動機は何か?自分に与えられた人生の意味を問い、その意味を見つけた、ある女性のストーリー。

 私は千葉県の田舎で、5人兄弟の四番目として生まれました。兄、姉、姉、私、弟の5人です。父は体が弱く、私が小学校一年生の夏に亡くなりました。

 父は、兄の仕事を手伝いに満州へ行っている時に終戦を迎え、ソ連軍の捕虜として連行されました。その後、シベリアの極寒の中で2年間過ごしました。極めて栄養状態が悪い中であったため、肺結核を患い、父は日本に戻ってくることになりました。そして、それが原因で亡くなりました。

 その父は、私たち5人の子供たちに夢を持っていました。その中の一つが女の子に看護婦になってほしいという夢でした。私は、そのことがずっと心にあり、大きくなったら、看護婦になるんだと思っていました。そして、18歳のとき、東京のS看護専門学校に入学しました。

 兄弟はそれぞれ、打ち込むものを持っていました。スポーツや勉強、絵を描くことでしたが、私は違っていました。私は、神を信じて生きる両親の姿をみて、他の人とは違う「確かなもの」があることを感じていました。ですが、私自身には、それがありませんでした。

 確かなものを得ていないのに、何かに集中して生きることはできませんでした。だから敢えて、何に対しても興味を持たないようにしている自分がいました。しかも、「確かなもの」ならば、この私もいつかはそれを得ることができるだろうと思っていました。

 そのような思いを心の奥底にしまっていたためか、看護学校に入学してカリキュラムを見たとき、18年間しまっていた思いが一気に噴き出しました。

 

「一体人は、何のために生きるのだろうか。」

 

 そのような思いと、真正面から向き合うことになりました。

 当時の私は、「もし、両親が信じている、この確かなもの(神様)が存在しないで、人間が自然発生的に生まれ、ただ食べたり飲んだり、仕事をしていたとして、例え成功しようが失敗しようが、ただ死んでいくだけの存在であるとしたら、生きていく意味は全くない」と思っていました。その分、心の底から「もし神様がいるのであれば、この私に分かるように応えてくださるはず。だから、答えて欲しい。もし、真剣に神様を求めても、神様がいないなら、生きるのをやめよう」と、本当に思っていました。

 私は、看護学校の勉強以上に真剣に神様を探し求めるようになりました。どうしたら、本当の神様を知ることが出来るのだろうかと思いました。「もし教会に行けばキリスト教が正しいというだろうし、お寺に行けば仏教が正しいというだろう」とも考えていました。

 私にとって、人が自分にどう答えてくれるかは興味がありませんでした。神様に直接答えてほしいと思い、教会をいくつかまわりました。教会で神様の説明を聞きましたが、わたしの心にはどれも届きませんでした。そんな中、淀橋教会に来ました。みんなが神様の方を見ていて、ここなら安心して神様を求めていけると思い、その後も続けて来ることにしました。

 神様を求めることができる場所をやっと見つけはしたものの、自分の周りの学生たちの求めには神様は答えてくださっているようでしたが、私には答えてくださいませんでした。そんな彼らの喜んでいる姿が目につき、神様は不公平だと思っていました。が、こんな私のことも神様はちゃんと覚えていてくださったようで、私にとっては「最悪な出来事」が起こりました。

 看護学校の勉強はとても楽しく取り組んでいました。しかし、最終学年である3年生の一番大事な実習で、突然行き詰まったのです。この実習を元に提出するレポートの中で、優秀なレポートは皆の前で発表する機会が与えられると聞きました。私は、「精神科の患者さんを精一杯愛して、素晴らしいレポートを書こう!」と気負っていました。今思えば、大変恥ずかしい、傲慢な自分でありました。

 この実習を通して、本当に患者さんを受け入れることができず、生まれて初めて自分の愛のなさに気付き、愕然としました。もちろん、レポートを書くことはできませんでした。「愛することは簡単だ」と思っていた自分、「愛のない」自分に気付いた時は、言葉には表せないほどショックでした。実習中は毎日レポートを出す必要があったのですが、全然書けずに、提出期限が切れてしまいました。それは同時に・・学校を卒業できないことを意味していました。

 私が一番苦しいとき、助けてくださらなかった神様、私は「もう、教会には行かない」いえ、「行く資格が自分にはない」と思い始めました。行かないと決めはしたものの、私は聖書を持って屋上へ駆け上りました。そして、ヨハネによる福音書5章"ベトザタの池の話"を開きました。

 そこの聖書箇所を読み進めていくと、神様が私に「仕えたいのか」と声をかけてくださいました。私は瞬時に、神様が生きておられることを確信しました。そして、本気で神様と話し始めました。

 「神様、私は3年間やってみたんです。でも、できなかったんです。」自分の思いを、素直に神様に伝えました。そして、神様が私に聞いておられるのは、"できるかできないか"ではなく、"私が本心から神様に仕えたいと思っているかどうか"であり、"私の心"を知りたいのだとわかりました。私は心から、「仕えたいのです」と答えることができました。

 一度は教会へ行かないと決めましたが、神様に答えることができたことが嬉しくて、嬉しくて、「祈りに答えてくださった神様のところへ行かなければ」と教会に飛んでいきました。これで今後の人生も生きていけると本気で思いました。そしてその夜、あるクリスチャンの集りで詩編18章1節の言葉を聞きました。

 

「わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。」

詩編18章1節

 

 私は、神様の力が私の力であることをこの時に知りました。

 そのことがわかってから、このストーリーを書く今までの自分の歩みを振り返ると、結局は自分の力に頼ってしまうことも多く、失敗もたくさんしました。自分がどんなに罪深い存在かもわかりました。でもその分、私の罪のために死んでくださったイエス様の十字架の愛なくしては、生きてゆくことのできない者だと自覚することができました。

 そんな私を愛してくださる神様の愛を心の底から感謝しています。そして、今が一番、愛されていると実感しています。

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