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私たちのストーリー

神様の方法

S. O.

やりがいのある仕事をし、安定した結婚生活を送り、周りに必要とされることで、幸福な人生が訪れると考えていたS。「自分のプラン」を手放すことで、平安ある人生を得た、ある女性のストーリー。

 私は四人姉妹の三女として、東京で生まれました。家には神棚や仏壇も無く、私は神様の存在を意識することなく育ちました。幼い時からおとなしい、手がかからない子供だったそうです。おままごとやお人形遊びも好きでしたが、塀を伝って他所のお宅を探検したり、木や屋根に登ったりする活発な面もありました。洋服はいつもお下がりで、物を欲しがることもせず、聞き分けのいい子供でした。でも心の中では、新しい物を買ってもらえる姉がうらやましく、どこか不満をもっていたように思います。自分の本当の気持ちを隠して良い子になることで、親の愛情を受けようとしていたのかもしれません。

 そんな中、私は右耳の聴力を失いました。小学校の聴力検査の時に、私は聞こえないにもかかわらず、咄嗟に聞こえるふりをして、前の人と同じ様にボタンを押していました。何故そうしたのか、自分でもよく覚えていません。その嘘をついたことを親に言えず、自分一人で背負ってしまいました。以来、私は自分の気持ちを人に伝えることが苦手になってしまいました。心の奥底でずっと、問題に蓋をして考えないようにしていました。

 私の父は銀行員で、真面目で頑固な人でした。顔を合わせればいつも、勉強しなさい、努力しなさいと言われて育ちました。又、地道に頑張れば報われると教えられました。ですから、私は宗教は弱い人間が頼るもので、頑張れば自分の望んでいるものが得られるのだと思っていました。けれどもその一方で、本当の幸福とは何か、人はなぜ生きるのか、答えを求めていました。そして、幸福な人生を送るためには、自分自身が満たされることが必要だと考えました。それは、やり甲斐のある仕事や、安定した結婚生活であり、必要とされ、愛されることでした。けれども頑張っても、むしろ自分の能力の限界や、人間関係の難しさを感じることが多く、こんな私を受け入れてくれる人はいるのだろうかと悩み、将来への不安は増すばかりでした。

 そんな時、当時通っていた英会話学校でアメリカ人のクリスチャンの先生と出会いました。英文科専攻の私は、何とか英会話コンプレックスを克服して英語に携われる仕事がしたいと思っていました。ある日、その先生に誘われて、教会で開催されるある集会に参加しました。月一回の集会に二年ほど通ううちに、聖書の学びに誘われ、参加するようになりました。初めは断るつもりでしたが、「この人達は、私が今まで出会った人達とはどこか違う。彼らが信じている神様や聖書がどんなものか知っておいてもいいだろう」と、参加することにしました。けれども、聖書の内容を、単に道徳的なものとしてしか受け止められず、自分の生活との関係が分かりませんでした。また、目に見えない神様の存在や、すべての人が罪人であるということも、理解できませんでした。私は、「自分は法に触れるような罪を犯したことが無いし、どちらかというといい人間なのではないか」と思っていたのです。

 そんな時、職場の人間関係である人を赦せず、受け入れられない状態になり、苦しみました。心に喜びが無くなり、「怒り」などの悪い感情ばかりが出てくるのです。心はまさに死んだ状態でした。そして初めて、これが聖書で言っている罪なのだと気づきました。もし神様が私を創られた方なら、私が人を裁き、赦せない状態でいることを喜ばれるはずがない。何とかしてこの状態から脱出して、喜びに満ちた生活がしたいと思いました。

 

「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。
願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」

ヨハネによる福音書 16章24節

 神様が喜ばれることは、相手を赦すことだと分かりました。そのように変えてくださいと願った時、自分ではどうしても変えることができなかった心が、相手を受け入れ、許すことによって湧き上がってくる「喜び」に変わっていきました。

 

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

ヨハネによる福音書 8章31節-32節

 

 今までは、自分の思うとおりに生きることが自由だと思っていました。しかしその結果は、自分自身の罪の奴隷となっていました。そして、「神様の真理」こそ人を罪から解放し、本当の「自由」と「喜び」を与えるのだと分かりました。私の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったイエス様を、救い主として信じる決心をしました。あるがままの私を愛してくださる神様に喜ばれるように生きるという、人生の目的を与えられました。それは、以前抱いていた不安や疑問に対する、明快な答えでした。

 しかし、一度は赦した相手でも、変わらない職場の人間関係の中で、私は過去の事を思い出し、救われても変われない自分を責め、苦しみ、洗礼を受けることができませんでした。いつの間にか神様から目がそれ、もがいていました。そして、ぼろぼろの状態になった時、やっと弱い自分を受け入れ、私は神様の前に降参しました。「今の職場を辞めて、これからは神様が与えてくださるものだけで生きていこう、神様が必要をすべて与えてくださる。」そう信じて、洗礼を受けました。この聖書の約束をいただき、平安のうちに仕事を辞めることができました。

 

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

ヨハネによる福音書 15章5節

 

「だから、"何を食べようか""何を飲もうか""何を着ようか"
と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみな
あなたがたに必要なことをご存知である。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

マタイによる福音書 6章31節-33節

 仕事を辞めて、その2日後、次の仕事が与えられました。それは、キリスト教宣教団体の会計の仕事でした。宣教に携わる仕事であるばかりか、私が願っていた、英語に携わる仕事でもありました。ところが、神様が備えてくださった仕事に感謝しながらも、その時は、ずっと続けたい仕事だと思えませんでした。私は、結婚してクリスチャン家庭を築き、この職場を出ていくことばかりを考えていました。

 それから早や十数年が経ち、私は今も独身で、同じ職場に身を置いています。道が閉ざされて落ち込み、精神的に不安定になったこともありましたが、乗り切ることができました。今はできる限り、この仕事を通して神様に仕えたいと思っていますし、結婚も神様にお任せしています。また、神様はアパートの大家さんを通して、私を淀橋教会に導いてくださいました。手話を習っていた私は、淀橋教会で手話席という居場所を与えられました。その後、聖歌隊に導かれ、今では聖歌隊は、私の信仰生活の大きな助けとなっています。

 振り返ると、神様が必要な出会いや出来事を備えてくださっていました。神様の計画は、私が神様に従っていけるように、時には試練を与えます。たとえ自分が思った方法でなくても、それが神様の方法ならば、平安と確信が与えられました。私は頑固で、自我が強いところがあり、すぐに神様に従えないことが多々あります。その度に痛い思いをするのですが、それも、私が神様に近づき、神様に喜ばれる歩みをしていくためだったのだと思わされます。クリスチャンになったからといって、すぐに心の傷が癒えるわけでも、立派な人になるわけでもありません。少しずつ解放されてゆき、やがてイエス様と同じ姿に変えられてゆくという望みをいただいています。生きていくことは楽ではありませんが、イエス様に助けをいただきながら、与えて下さった賜物を用いて、精一杯お仕えし、最後に神様に「よくやった」と言ってもらえるように、力を尽くしていけたらと思います。

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