東京・新宿で教会をお探しの皆様[淀橋教会公式ブログ]

教会へのみちのり

T. N.  私は昭和27年に福岡県の小倉で生まれました。場所は、女子刑務所の門のまえの家の2階です。父親は、映画館の映写技師でしたが、ギャンブル好きで苦しい生活だったようです。私が生まれてすぐ、借金問題で離婚したそうです。  その後、3歳まで広島県の三次の叔父夫婦に預けられ、育てられました。母はその間に再婚し、3歳の時に親と一緒に暮らすことになりました。私はもともと広島の叔父夫婦を親と思

探して見つけた答え

M.T.  私は教会にくる前まで、哲学・宗教・心霊研究・スピリチュアリズムなどを勉強していました。もちろん、キリスト教もある程度勉強していました。なぜそのような分野を勉強していたのかというと、弟が早死にし、死や死後の世界に関心をもったことと、学校や職場での人間関係がしんどかったからです。  キリスト教を学んでいくうちに、ローマ書の「復讐するは我にあり」という、復讐を自ら行わないように教える

招き続けるイエス

 K. I.  小学校時代、母の仕事の関係で自宅から遠い学校へ通っていました。そのせいか、友人もあまりできず、中学生になっても学校生活は楽しいとは思えませんでした。   中学3年にあがる時、いつものようにクラス替えがありました。新しいクラスでも、私には親しい友達ができず、不安な日々を送っていました。そんな時、私に声をかけてくれたあるクラスメートがいました。彼女はクリスチャンでした。   

駅前留学で得たゆるし

T. T.  私は三人兄弟の長男として生まれ育ちました。小さい頃からおとなしく、目立たない子供でした。  私が聖書という物を知るようになったのは、小学校6年の時、「田中正造」について学校で学んだことがきっかけでした。彼が亡くなった時の所持品の中に、新約聖書があったそうです。私はその時から、聖書を意識するようになりました。私の家族にクリスチャンはいませんでしたが、高校はミッションスクールに通

病の中で救われた夫

T. S.  2008年10月20日、その日は夫の71歳の誕生日でした。私たちは神様からあるプレゼントをいただきました。それは、ドキッとするような、しかし、“やはり・・・・”と思えるような、病のプレゼントでした。  いつもは、近くの総合病院に通っていたのですが、そこでは検査は厳密にできても、手術となれば設備が揃っていないという事で国立T病院肝胆脺外科のA教授を紹介していたただきました。

111曲のプリント

S. A.  淀橋教会には、マリア会と呼ばれる60歳以上の女性の集りがあります。毎週第三日曜の礼拝後に会っていますが、それ以外にも、毎月第二火曜日の11時から14時まで、お弁当持参の昼食会、「賛美と交わりの会(交流会)」を行っております。  今回の出席者11名の平均年齢は79歳でした。毎月11名から15名ほどの方がお集まりくださっております。なお、毎年12月の集まりでは、ささやかなクリスマ